日本のすがた・かたち
目が疲れ、いつものように鉛筆を擱き、春の陽気に誘われ、散歩に出かけました。今回はAコースの禅の修行道場である「龍沢寺」参りです。
参拝を済ませ、蕗の薹をポケット一杯に摘んで、花粉が飛び交う道を下ってくると、町内の長老とぱったり出会いました。農家で洒落の分かる面白爺様のひとりです。
「アンタ久し振りだね。元気そうだね。幾つになったの」
「お蔭さまです。古稀を過ぎました」
「古稀過ぎか。未だまだ若造だね。ワシは82だよ。十も若けりゃ未熟者だぜ」
「でも古稀過ぎると体力が落ちますね」
「元気なのはいいけど、古稀過ぎは体に悪いよ。セーブしなくっちゃ」
(セーブ???…)
「しかしもうすぐ後期高齢者ですよ」
「高齢者というのは、そう思った奴がなるもので、思わなければずっと青年だよ。ワシは昭和の青年だ!」
「今は平成なので・・」
「平成だろうが成平になろうがずっと青年だ。アンタ何か気に入らないことでもあるのか」
「いや、そういうことでは…」
「人間はボケても生きていれば花だ。ボケの花だ」
「秘すれば花とは聞いたことがありますが、ボケれば花とはまた乙なことで」
「花は夢だ。秘かに思う夢だ。だから夢があれば生きられる」
「歌の文句に〈貴方がいれば生きられる…〉五木ひろしの〈細雪〉だったかな」
「真面目に聞いてくれ。ワシの夢は有機無農薬農法を若者に広めることだ。農家に嫁が来たがる環境づくりを広めているところだ。夢も最高レベルは見果てぬ夢だ。直ぐには成就しないものがいい。未完成に終わりそうなのがいいんだ」
「交響曲7番シューベルトですか」
「おお、やるじゃないか。ロ短調だ。それで終わるような大きな夢があればいうことはない」
「そこを目指して行く過程が人生というわけですか」
「だから歳は関係ないんだ」
「しかし目はショボショボ、耳は遠く、入れ歯で下々は切れが悪くなるのがぼちぼち…」
「そんなのは体を動かし、ケツの穴に力を入れていればなんとかなる」
「そうはいっても…」
「漏れだしたらオムツがある。だが夢は自分で作り育てるものだ。ボケ始めたら夢はもっと膨らむ。パンツも膨らむけど、ハ、ハ、ハ、」
「……」
「何はともあれ見果てぬ夢の中で生きることだ。そこには明日がある」
「明日があるから生きられる・・。ご高説有難うございました」
「お主も励めよ、人生イロイロだからな。じゃ、イエライシャン!」
(サイチェンじゃないのか?島倉千代子か、それにしても古いなぁ…、)
自分にも見果てるだろう夢があると思いながら、深々と一礼し、夕飯は蕗の薹の天ぷらとビールで、と足取りも軽くなった昼下がりでした。
写真:春の小川はサラサラ