日本のすがた・かたち
DNAの研究が進んだお陰で、列島草創期の史実が明らかになってきました。
日本列島で暮らしていた人たちの痕跡は四万年前に遡ります。
東京小金井市中山谷遺跡から出土した最古期の石器がそれを証しています。
最近までアフリカを発したヒト(ホモ・サピエンス・新人類)が日本に辿り着き、それが祖先で、それまでは日本列島にヒトはいなかった、というのが定説でした。
松木武彦(『列島創世記』)は、25~10万年前ジャワ原人や北京原人の流れをひくアジア系の旧人が列島に来ていた説。それと5万年前より後に、西から来たホモ・サピエンスがアジア系旧人を圧倒しながら列島に達した可能性の二説あるとしています。
山本健造(飛騨の口碑を伝えた哲学者)は、元々飛騨乗鞍岳(淡山)麓(飛騨大地)には哺乳類が発生し、やがて猿や猿人が生息し、原人が世界と同時期に発生していて、旧石器人は日本列島固有の種だったとしている。(可能性大説)
この三説は未だ特定されていませんが、いずれにしても列島には五万年前からヒトが住んでいたことは間違いないようです。
現在、建築の歴史を遡って調べている私は次のような視点に立っています。
1. 我々の祖先は25~10万年前から日本列島にいたか、5万年前に渡来した。
2. 4万年前の痕跡は石器によって立証されている。
3. 1万5千年前の縄文草創期に定住(竪穴住居)が始まり、クリ、ドングリなどの貯
蔵穴を作る。
4. 7千年前の縄文中期には渡航技術が発達し、列島のみならず海外にヒト、モノの
移動が増え、稲作や果実の栽培と品種改良が行われていた。
この頃から大規模集落が出現する。
5. 大陸、朝鮮半島は5千年前まで氷で覆われていたため人は住めなかった。
(気象の研究。中国八千年の歴史も韓国五千年の歴史もなかった)
6. 列島人が氷がなくなる5千年前頃から無人の半島、大陸に渡り住む。
(半島南部「倭」、『三国史記』1145年。半島や大陸から縄文遺物が多く出土)
7. 4千500年前の縄文後期には木、草、竹、土、石など加工用材を使い、意匠的
にもこだわった建物を造っていた。
8. 弥生時代前期には水稲農耕が広がり、人口が増え、鉄器の普及もありムラ同士の
争いが起きる。戦による死者が増え、祭祀や住居形態にも変化が起こる。
約4万年の間、日本列島の先祖たちはどのような建物を造り、生活していたのだろうか。その生活の変遷と蓄積が今日に至り、今の私の文化域を形成していると思うと不思議な気持ちになります。
今、木の建築を設計しながら列島の草創期に想いを馳せています。
写真:青森県三内丸山遺跡