日本のすがた・かたち
飛騨に住む叔母のヒルメムチ(天照大神)に出雲の国の統治権を召し上げられた大国主命は、高さ48メートルの大きな宮殿を要望したといいます。紀元前の話です。
その高層木造建築を造ったのは飛騨の匠だと「飛騨の口碑」は伝えます。
国土を森林に覆われていた日本列島では、旧石器期から木の建築を造る技術があったことを想像できます。木と草と土による竪穴住居は、既に4万年の昔から造られていたと推定するのは容易です。
身近にあるものを利用して雨露をしのぐ棲み家を造るのは当然のことで、食べ物が増えれば人が増え、人が増えれば住まいが増えるのは必然というものです。
棲むという「用」を満たすと、人は「美」を求めるようになり、他人との関わりあいの調整をするようになります。「衣食足りて礼節を知る」とは、つまり他人との関係を調整することと同義です。
ヒトは食べ物を調達することから始まり、やがて身体を装飾し、住まいなど生活環境を美しく整える習性を持つようになったことは、近年の遺跡発掘などで解明されています。古代人の進化の過程がよく理解できるようになったのは考古学に心の科学を取り入れたことと、遺伝子的見地の導入を果たした成果といえます。
およそ7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期(最終氷河期)が終わると、日本列島は大陸と海で隔てられ、以降樹木は針葉樹から照葉樹への移行が始まり、生物は独自の生態系を作りあげてきました。
特に樹種の豊富な国土は、多様な木の建築を造りあげる基礎的な条件を備えていました。
旧石器時代の遺跡は4万年前頃からのものが多いため、この時期から列島に渡来した人たちが日本人の祖先だという説があります。私は列島にもホモサピエンスとなる原人(祖先)がいたとの説に立っているため異論はありますが、いずれにしても4万年前には列島に人が棲んでいたことは間違いないことです。
石器を使い、杉やヒノキの針葉樹を伐り、穴をあけ木を立て、蔓で結び、草を敷き土で覆う…。
住いを造っている先祖たちが目に浮かびます。
以来、4万年の歳月をかけ我が国の木の建築は造り続けられてきました。その文化の継承は現代の地球上どの国にも見当たりませんし、私の知る限りその高度な木造技術を保持している民族は他にいないと思います。
なぜ日本にはそれがあるのか。
この美しい風土に育まれてきた人たちは、木の文化を継承し保持して行く精神を称え、次なる時代への継承者になることを目指してきたのではないかと思います。
全ては後の人たちが健やかに暮らせるようにと。
我が国の木の建築のエッセンスは茶室建築に昇華されています。私は「三島御寮」造営計画でこれを継承する先人になりたいと思うひとりです。
写真:上 TP古代の出雲大社想像図
中 縄文期の竪穴住居の骨組み(想像復元)
下 茶室 国宝「如庵」(犬山市) Webより