日本のすがた・かたち

2016年12月21日
4万年

2016122107_m.jpg後3日でクリスマスです。

街はキリスト教行事一色となり、それが過ぎるとお正月を迎える神事の準備がピークとなります。そして仏教行事の除夜の鐘を聴きながら新年を迎えます。

もう70年も同じ歳末の過ごし方を続けているように思います。

 

今年はとても充実して多用に過ぎた一年でした。

日本の歴史に対する見方もある確定的なところに至り、自分なりに漠とした過去の有様を、時間軸で定めるようになりました。

 

ひとつは歴史を五区分としたことです。(斎藤成也氏の説に自説を加えた)

1.江戸東京時代(平成、昭和、大正、明治、江戸時代の約400年間)

2.平安京時代(安土桃山、室町、鎌倉、平安時代の約800年間)

3.ヤマト時代(奈良、飛鳥時代の約600年間)

4.ヒダ・イズモ・ハカタ時代(古墳、弥生時代の約1200年間)

5.ジャポニカ時代(弥生以前の縄文、旧石器時代の約4万年間)

 

二つ目は歴史書の見方です。

「古事記」は7世紀末から編集が始まり、和銅5年(712)に献上されたものです。中身は弥生時代末のことを神話仕立てにしています。イズモ氏族を称賛するための歴史書であるといえるもので、史実に近いといわれる同時代の「出雲風土記」には大国主などの記述がありませんし、大国主や事代主が誰なのか実態が分かりません。神社に鎮座する神様の殆どは人間で神といえる存在ではありません。

「日本書紀」も同質のもので、当時権力を握った氏族の正当性を史書にしたものに他なりません。「古事記」は江戸の中期に本居宣長が翻訳するまで国内の殆どの者はその存在すら知らず、一般に知れたのは昭和になってからです。「古事記」をもって我が国の歴史の始まりとするには無理があるところで、史実に基づいていても創り話の域を出ないというところです。

 

三つ目は4万年間のとらえ方と考え方です。

権威ある学者の説も埋蔵物の出土により覆されることが多く、学説というものはそれを提唱する者の仮説といってよく、必ずしも信をおけません。つまり科学的な裏付けを持たないものは怪しいということです。

昨今では考古学分野に感情、欲望、神、迷信などの心の現象、地球環境、日本という領域だけにとらわれない客観性を加味するようになってきました。

特に埋蔵文物の研究にDNA解析による遺伝子情報を導入した成果は、高い信頼性を保持できるものと思います。

 

 

今年の成果は以上のような見地に立てたということです。

ジャポニカ時代から今日までの木の建築はどのようなものだったかを知りたい私は、三内丸山遺跡、吉野ケ里遺跡、登呂遺跡などの復元住居の嘘っぽさを嘆くものです。次から次へと出土しているジャポニカ期の住居の屋根は、土で覆われていた可能性が高くなっています。

 

日本人はこれから木の建築を造り再生して行くことが良いと思い、時代の精神としては江戸時代の優れた再生可能社会を範とすることを勧めたいと思っています。戦の無かった江戸三百年に学ぶことは多いはずです。

 私は新年からまた「三島御寮」造営計画に取り組んで行こうと思っています。

   

      霊峰や明ける煌めく紅衣

今朝の富士山はことのほか美しい姿でした。朝夕に霊峰を拝す有難さを感ずる昨今です。

 

 

 

 

 

 


2016年12月21日