日本のすがた・かたち
20年来の付き合いをしていた「ササヤン」こと佐々木広志さん。
彼は昨年の12月初め、不慮の事故で亡くなりました。
突然のことだったので彼の家族始め交友関係者は驚き、困惑を隠せませんでした。
あれから9か月経ち、仲間たちで何か供養をしよう、ということになり、この11月末に追善供養の茶事をすることになりました。
亭主は同じ樵隠会のメンバーの二人と、半東の一人です。先日から案内を始めたようです。
彼が亡くなった後、私はどのように変化したかというと、「サア―、困った!」という毎日が訪れました。日頃は気にしなくてもよかったことが次から次へと起こるようになりました。
私が交流している方たちとの関係調整はほとんど彼が担い、微に入り細に入り私がやり取りし易いようにしてくれていたため、いざ彼がいなくなると「サア―、困った」となったのです。
身勝手な性分の私を助け、影となり日向となって活動を支援してくれていた存在が彼だったのです。
人は何かを成した時に自分の力のことを思いますが、よく考えてみるとその力は他の支えの上に成り立っていることに気付きます。
1年前に私の木の建築群造営計画に同調し、サポートすべく三島御寮ネットワークという株式会社を興し、社長として仲間とともに船出をしたばかりでした。私にはかけがいのない盟友という存在でした。
赤の他人がふとしためぐり合いで交流を始め、そしてやがて別れる。亡くなってみて分かる存在の大きさです。
追善の茶事には正客として参席することになりました。彼の十八番だった「南部牛追い唄」など唄いながら皆さんと供養したいと思っています。
ササヤンとの思い出は生涯消えることはないと思います。
相逢うて相別れるは人の常 せめて供養の一会参らん
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彼が兼務していた「新之介文庫」は、一昨年彼が紹介してきた日野美奈子さんに引き継がれています。彼女の活躍はササヤンの置き土産のような気がしています。
また来月から茶の湯のステージ「三島御寮」造営計画が再開されます。この半年間は醸成期間となり、私に多くのことをもたらせてくれることになりました。
彼が天から応援してくれるのではないかと思っています。
ありがとう、ササヤン。
冥福を祈り、皆で供養をします。
写真 上:伊勢神宮の遷宮の行事「お白石持ち行事」の佐々木広志さん
下:追善の茶事に向けて亭主の稽古風景(TP共)