日本のすがた・かたち

2016年7月28日
般若窟・玄峰老師

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気を抜けない仕事が続くと、エイッとばかり鉛筆を投げ、散歩に出かけます。

雨の上がった今日は、Aコースと名付けている禅寺の龍澤寺(りゅうたくじ・臨済宗妙心寺派)です。

所要時間は約1時間ですが、目的は般若窟・山本玄峰(やまもとげんぽう)老師の墓参りとなります。

 

三島に住んで40年ほどになりますが、歩いて20分の龍澤寺は、玄峰老師の法嗣の中川宗淵老師、鈴木宗忠老師との縁が出来る前から折にふれお参りしていました。

 

玄峰老師は1961年に遷化されていますが、知る人ぞ知る昭和の傑僧で、先の大戦の処理にあたった鈴木貫太郎首相に戦争終結を決意させ、戦後は象徴天皇制を説くなどし、1945年、終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言し、また海外に禅を広め、妙心寺派の管長となったことでも有名な禅僧です。

 

当地三島では玄峰老師のエピソードは多く、街中では良く語り継がれています。

私は設計に疲れると、何時しか老師が眠る「般若窟(はんにゃくつ)」にお参りに行くようになっていました。

 

寺の小高な所に在る窟は不思議な場所で、斜面を穿ってあって、そこはコンクリート製の扉で塞がれ、前にはゴム草履が置かれていて、上部に空気抜きの穴が開いています。

聞くところによると、老師は96歳で断食をし、亡くなった時坐禅を組んだままの姿だったといい、その姿のままこの窟の中におられるとのことです。

 

杉木立の参道を行き、長い階段を上った奥にある窟の前に立ち、礼拝すると、不思議に落ち着きます。

ただ手を合わせるだけのことですが、揃えられたゴム草履を見ると、老師が生きた声で話かけてくれるような気がしてきます。

 

「心配するな、なるようになるので…」

 

何時もこの声がしているような気分に浸ります。

 

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帰りは本堂にお参りし、野の花を摘み、汗をかくようにして戻ります。

 

「心配するな、なるようになるので…」

そういえば一休禅師の遺言もこの一言だったな…。

 

なるようになる。なるようになってきて70年。この先もなるようになるものだと思いながら、気を取り直し設計図に向かっています。

 

   設計の 奥の深さに 窟参る

 

                                                                                                    


2016年7月28日