日本のすがた・かたち
先日川越市にある遠山記念館に調査に出かけました。
毎年何ヶ所かの庭園や建築の調査をしていますが、今回は蔵のまちで有名な川越市で三度目になりますが、遠山邸は初めてでした。
昭和11年に完成したという遠山邸は、テレビや雑誌で取上げられていてよく知られていますが、非公開部分が拝見できるタイミングだったため伺いました。
日興証券の祖、遠山元一(明治23年〜昭和47年)が故郷の地に再興した邸宅ですが、母親のために建てたもので、当時としては最高レベルの木造建築といえるものです。
大正から昭和にかけて洋風を取り入れた邸宅が多く作られ、モダンな生活への関心の高まったことにより、財界人は洋館様式に和様を混ぜたものを造営しましたが、その中でも遠山邸は母のための目的からか、少し趣を異にしています。
遠山邸は3つの棟を渡り廊下で連結するプランで建てられています。
東棟は生家を再興したことを象徴する豪農風、中棟は貴人を接待するための格式のある書院造りにアールデコの洋式。西棟は母のために数寄屋造りです。
これに、土蔵や長屋門を加え、総建坪は400坪を越えています。
3棟が建築様式を異にしながら違和感のない造りをしているところをみると、造営に携わった人たちの専門知識とともに、造営にかける高い情熱を感じました。
造りは建築技術と意匠が伝統に忠実であり、細部に亘り手を抜くところがなく、木材、壁、建具や畳などの材料も極上といえるものを用いていて、これで造作をした人たちは材料を前にし、さぞ緊張し、心を籠めて仕事をしたのではないかと思いました。
とにかく当時としては最高の材料で贅を尽くした意匠と造作といってよく、2年7ヶ月を費やして完成しています。日本建築の到達点を見せている造りでした。
離れの茶室と有名な茶入や茶道具は拝見できず残念でしたが、建築とはこのように造営できるものだということを改めて感じさせてくれた建物でした。
設計した室岡惣七はさぞワクワクしながら仕事をしていたと思い、私もこのような材料と職人を得たらきっと、と思いました、が、ただひとつ、茶室については少し違和感を持ちました。施主はじめ設計者の室岡もよく茶の湯を理解していなかったか、茶事を知らなかったのではないかと思えるところがありました。
なにはともあれ、日本人のすがた・かたちが眼の前に見えた一日でした。