日本のすがた・かたち

2016年4月12日
ガラスとにらめっこ

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パソコンやスマホに依存するようになり、世に必要な判断は仮想現実の電子空間の中で成されることが多くなってきたといわれます。

 

よく空爆の映像に観る建物へのピンポイント爆撃シーンがありますが、果たしてそれが本当にあったことなのか分からないまま情報として、証拠として私たちに一方的に入ってきます。You Tubeなどへの投稿も膨大な量となり、人間の能力も検索能力の高さをもって測る時代となりつつあります。

 

誰でもがパソコンやスマホを見ない日はないくらいで、画面上で考え、画面上で物事を判断し、画面上で喜怒哀楽を完結することが常となっている感があります。

政治、経済、芸術のあらゆる場面も画像を用いて伝達されるようになり、このことにより、かえって情報が加工され、ありもしない事が大きな影響を与えているのも事実です。

 

一日中パソコンのモニター画面をみて過ごす人が多くなっています。

私も同様な時間を過ごすことがありますが、時折、ガラスの板を眺めて暮らす自分が哀れに見えることがあります。

まあこれに気付いた時は、散歩に出かけ、手でものをつくる作業に勤しむことにしていますが、ふと気が付けば、またモニターを見つめバーチャルな世界に浸っている自分がいることに…。

また涙して震えるような感動が少なくなっていることにも気がついています。

 

縄文の女神②[1].jpg人間が感動するレベルを研究した人がいますが、最高レベルは五感を総動員した時のものだそうです。そういわれてみれば、寒気の中の神秘的な日の出、海の果てに沈む夕陽の美しさになどに涙する時の感動は、風の香りや大気の気配などと共にあるものです。

 

禅では涙する感動の源泉を「冷暖自知」としています。

冷たいも暖かいも自らで知る、とは五感で受け止めよということになります。つまり他から与えられたものではなく、自らの五体五感で知ることだと教えています。

 

他を当てにし、他を頼りにし、他に依存しなければ生きて行けない人間は、常に不安と戸惑いの中に暮らすことになります。

この不安を和らげるには、自立し、孤立無援の中に生きながら他と協働する姿勢しかないようで、人の尻馬に乗り自己顕示をしている内はこの不安から逃れることはできないと思います。

 

自立こそバーチャルな空間において屹立できる精神といえますが、果たしてこの先、仮想現実にどっぷり浸っている人間は、どのように変質し、変貌を遂げて行くのか…。

 

私は、人間の変貌は、電気がなくなったらどうなるか、などと想像しながら、今日もガラスの板とにらめっこです。

                                                                    

写真: 最近感動した造形 国宝「縄文の女神」 (東京国立博物館展示)

                                                                                                         

                                                    


2016年4月12日