日本のすがた・かたち
儚きは人の世なりと紅葉葉の 散り往く色か風も吹かぬに
この時期になると喪中の葉書が届くようになります。
今年も何人もの人が先に旅立ちました。
無事暮らしている便りの年賀状は嬉しいものですが、喪中の知らせは人の世の儚さを思います。
あの人とはこんな事をした。
良い思い出ばかりではなく、嫌な記憶も残っていますが、亡くなってみるとそれも懐かしい思い出として甦ります。
生きている限り、人間の苦しみは絶えることなく、誰でもが同じ質と量を抱えています。
苦しい顔をしている人も、平然として見える人も皆同じです。
先賢は様々な処方を教えていますが、それもこれも瞬時の忘却です。
人間は生まれると「生存と生殖」を目標とします。
生存についてまわるのは「苦」だと釈尊は教えていますが、その通りだと思います。生きているとは苦しみの海を泳いでいることだと教えています。
ある時、私はそうならば、避けることができないならばどのようにして暮らして行けばいいのか、との思いに至りました。
難行苦行の末ではなく、ごく自然の成り行きでした。
苦しい顔をして行のようなことをすることが苦手な私が思い定めたことは。
「そのまま生きて行けばいい…」
苦しみから逃れられないというならその苦しみのまま暮らす他はない。
とても簡単なことでした。
後は暮らし方の工夫でした。
「義理とフンドシを欠かすな」、「人様に迷惑をかけることはするな」、「卑怯な真似はするな」
亡き両親からの金言です。
周りから知り合いがいなくなる寂しさは一入ですが、今は次代を担う人たちに囲まれていることを励みとしています。
先人の優れた智慧と記憶をどこまで伝えることができるか。
これが先に逝った人たちへの供養のような気がしています。
写真: 今日の紅葉
TP 龍澤寺の石仏