日本のすがた・かたち
大きさ120cm角、美濃紙と思える和紙を貼りあわせた用紙に、黒と赤の墨で描いてある寺院の設計図を飽きることなくながめています。
夏の夜半の日課のような時間です。
どういう訳か、真夏と真冬の夜更けになると、江戸時代の設計図をひろげることが多く、もう30年も続く年中行事のようなっています。
今夏は、一日の仕事が終わると、数十枚の中から重層の寺院の設計図を選び見ています。
何時も、(よく和紙に墨でこのような綺麗な線を描けるなあ)と感嘆します。
直線は添筆で、曲線は定規を作って、彫刻などの意匠はフリーハンドで。
見えない内部の構造体は赤線で描き、断面は太線で描いています。
また、設計変更部は別紙に描いたものを上から貼り付けているのが分かります。
上層部の八角形の建物の構造や意匠をこの一枚の図面でほとんど表していることに驚嘆します。
多分、現在ではパソコンで描く図の50枚に匹敵する情報量だと思います。
この設計図を描いた棟梁と思われる設計者は、一般教養はおろか、政治、経済、芸術に通じ、歴史、美術工芸、建築加工技術、木構造、木材、石材、窯業、塗装、左官技術、算術などに至るまで精通していた人物であると読み取れます。
歳は幾つで、どのような顔をして、どのような所作で描いていたのか、恐妻家だったのか、などと想像すると興味は尽きません。
縄文時代から継承されてきた先人の優れた記憶が、この一枚の設計図によって証明されていると思います。なぜならば、この設計図で今からでもこの寺院の建築が可能だからです。
現代人には及ばない情報媒体です。
バーチャルの世界が広がれば広がるほど人間の不信や不安は広がって行きます。
ツイッターでつぶやけば、一気に世に広がり大炎上をきたす時代に私たちは生きています。
皆が神経を尖らさなくてはならない超リスク社会が現実のものとなっています。
これから益々、世間はトゲトゲしく騒々しいことになって行くと想像されます。
昨今は、昨日のことは直ぐに忘れ去られ、まるで線香花火のような一過性の時代といわれます。
人のことはともかく自己主張の塊となってゆく情報時代。ありもしないことをあるように扇動することが可能な時代となりました。日夜線香花火で楽しんでも、何時の間にか終えるのが人生時間…。
一喜一憂している自分に語りかけてくる約200年前の設計図。
森羅万象の中で生息している私が信じてやまないものは時間の厚みです。
その薄い一枚の和紙の持つ時の厚みは、ゆるぎない情報をもたらしてくれています。
信は力。
時の厚みはウソをつかないものです。
私も平成の最先端技術を駆使し、これに匹敵するような設計図を描いて、次代に伝えたいと思っています。
画像: 文政期の設計図33枚の内の「重層寺院の図」