日本のすがた・かたち

2015年5月28日
言語は祖国

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以前、茶室建築の研究調査のため韓国の慶尚北道と慶尚南道を訪ねたことがあります。

茶席に付随する入口の「躙口(にじりぐち)」の起源を調べるうちに、李朝時代の民家にその形式の入口が遺ることを知り、羽田から利川に入りました。

 

ちなみに躙口は、利休が大阪の枚方の船にある船室の出入り口よりヒントを得て、考案したといわれていましたが、この説に疑問を持っていました。

専門的になりますが、躙口の引き戸の敷居が特殊で日本では類例のない「挟み敷居」というものになっています。

 

慶尚北道の古民家には外からいきなり部屋に入る形式と、挟み敷居、それに下地窓がありました。

千利休の祖父が朝鮮から帰化し、大工たちもその中にいたという説がありますが、頷ける建築の意匠でした。

また、当時の高麗物と呼ばれた半島の焼物類を利休が好み、中でも井戸や、伊羅保、斗々屋、御本手などの名物ものは有名です。

 

桃山時代はルネッサンスといわれる時代で、信長、秀吉に代表される異国情緒が花開いた時期でした。大陸や半島との濃密な文化交流がなされた時代でもありました。

 

紀元前より九州一帯と日本海沿岸は渡来人が国を追われ漂着した地域でした。ここらに住み着いた大陸や半島人、東南の海人は原日本人と混血し、同化しながら今日を迎えています。

 

歴史学者の中には、日本人は二千年の間に渡来人に駆逐され、現日本人は渡来人の末裔であるという説を唱えるのもいますが、人種の交配は地球上の隅々まで及び、日本人でも鎌倉時代まで遡れば、皆近い親戚であり「人類皆兄弟」ということになります。

 

縄文時代にいた原日本人はいなくなったのか。

私は建築の歴史を訪ねきて、日本の建築とは何か、日本人とは何か、何を指して日本の建築というのか、日本人というのか、ということを調べ考えてきました。

現在では、日本の建築は「木の建築」、日本人とは世界に類のない日本語で思考する人、という考えに至っています。

言語こそ祖国です。その意味からすると、渡来人のすべては日本語という祖国に同化して生存してきた人間ということになります。

 

恐るべし六種多重層言語の日本語です。

 

今その韓国は危うい歴史と向かい合っています。

ジャーナリストの櫻井よしこ氏などが辛口の歴史認識を語っていますが、K・ギルバート氏(米カリフォルニア州弁護士・タレント)が私の思うところ発言してくれています。

 

http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/voice-20150525-0000000398/1.htm

 

何時の世も、この地球上に生息する生き物は交流し、影響し合い、そして同化して行きます。

その道標となるものは政治、経済、芸術に他なりません。

私は芸術の域で生かされてきたようです。

次代にその成果を伝えなくてはならないと思っています。

 

写真:  樵隠庵躙口(にじりぐち)の挟み敷居と奥の一般的な敷居

 TP: 茶室小間席の 躙口(雨戸を切ったものを戸にしている)

 

 

 

 

 


2015年5月28日