日本のすがた・かたち
1月からある設計に取り組んでいました。
ことに夢中になると気の済むまで終わらない私は、寝ても覚めてもそのことが頭から離れず、一区切りがつくまでそれは続きます。
大概、設計するようなことは夢中問答のようなもので、ある解答が出るまでは夢の中まで悶々とするものです。
40年もこのような日々を過ごしてきたかと思うと感慨深いものがありますが、設計行為は毎回依頼主が違うので、必ずしも前回の延長とは行かないものです。
突然依頼される仕事は心の準備ができていないため、とまどいやそれに対かう時間がないため困ることもありますが、設計依頼は、ある日突然、が多いものです。
建築設計の要諦は「誰がどのように使うか」に尽きるようです。
簡単な言葉ですが、実はこの「誰が」と「どのように使うか」ということはとても難しく、建築の「かたち」とすることに苦悶するものです。
「誰」とは依頼主・施主で、「使う」とは行動・生活ということになります。
私は”建築は恋愛だ”と常々思っていますが、まさに出会ってから完成して惜別するまでの心理は恋愛そのものだと思います。
建築の設計の中で最も難しいものは住まいといえます。
宗教施設や公共建築は「誰」が、は大勢いて、余り使う人との接点が特定されず、「どのように使う」という目的が希釈されます。
その点、住まいは「誰」は個人または家族で「使う」は個人的なものです。
つまり、最も主観の強い建築となります。
建築の歴史は住居から始まりました。
住居の中でまかないきれない集まりや儀式の「使い」がでてくると、それが集会場や冠婚葬祭場になり、レストランや映画館、劇場となってきました。現代生活の特色は用途の違う建築が大量に造り出されていることです。
話題の東京渋谷の再開発の目玉は高層の複合施設です。戦前までは考えられなかった用途です。
建築の用途は時代とともに変化し、多様化して行きます。
建築の設計は住宅に始まり、住宅に終わる。
複合の時代になればなるほど、個が健やかに暮らせる住宅が要ることになると思います。
それも、木の建築で…。
春分も過ぎました。
また蓮の植え替えの時期です。花粉に悩みながらの一区切りです。
そしてまた次の恋愛が待つ夢の中へ・・・。
TP写真:開き始めたモミジ