日本のすがた・かたち
先日、榮久庵憲司(えくあんけんじ)さんが亡くなりました。
正月に年賀状を頂いたばかりなので驚き、人の命の儚さを改めて思い知らされました。
榮久庵さんは知る人ぞ知る、日本のインダストリアルデザイナーの草分けで、新幹線車両やキッコーマン醤油のボトルデザインなどで名をはせ、世界的な活躍をされ、建築のデザインにも大きな影響を与えた方でした。
十数年前に七名をお招きした拙庵広間「不説斎」茶事のご縁から、毎年季節の挨拶を交わしていました。
招いた茶事の正客の見事さに惚れ惚れしたことを覚えています。
寺に生まれ、裏千家の大宗匠とも親しく、将に茶人といえる方でした。
昨年の夏に新刊『伊勢神宮』をお読み頂き、ご丁寧な書状を頂きました。
「近い内にお会いして、日本のデザインについて語り合いたい…」と書かれていまして、暖かくなったら上京するのを楽しみにしていたところでした。
お会いしたら、日本のデザインについてお話しすることは山ほどありましたが、その中でも是非語り合いたいと思っていたのが、日本人のものづくりに対する心構えでした。
古代から日本は自然崇拝から物事を考えていた、といわれています。特にものづくりは自然を手本としたものを最高とする考え方があり、何事も自然崇拝観から考えることが善しとされてきました。
最近、探査衛星イトカワが地球の大気圏に突入する際、故郷を見せてやりたいとイトカワのカメラを地球に向けました。突入し燃え尽きる姿をみて涙したひとも多くいました。この衛星には命があると思っている日本人がいるからこそこのような行動ができるのです。
自然界に存在するもの、神仏となるものやひと、森や木や河や山、雲や星などの森羅万象に命が宿るという考え方は何処の国や民族に共通しているものですが、どうも日本人はそれだけに終わっていないように感じていました。
榮久庵さんに話ししたかったことは、木の建築とものづくりの原点でした。
日本人は自然崇拝観からではなく、すべてのものに生命があるという考え方に基づいた仕事をしていると…。先人から受け継がれてきたこの精神の認識が日本人の道徳となってものづくりの姿勢となっていると。
すべてのものにはいのちがある。
この精神は、真似やパクリといわれるような商売感覚からは理解できるものではありません。
今は、儲かれば何でも盗作するような時代となりました。「ものには心がある」といわれていた榮久庵さんは、この現状を嘆いていたのではないかと思います。
語る楽しみを失ったこの春は、せめて榮久庵さんが一会の後揮毫して残してくれた色紙「縁」を掛け、ご冥福を祈りながら茶事を催すことにしました。
これから数日間、有縁の客を招きます。初日は旧正月元旦で新月の19日です。
改めて日本人の優れたものづくりの精神に触れています。
写真: 榮久庵憲司氏筆 色紙「縁」