日本のすがた・かたち
「忙中閑あり」といわれています。
どんなに忙しくても、わずかな時間の余裕はあるものだということです。
知能を得た人間は、時間という刻々の経過を計る考え方を創作し、何時の頃からか時間によって物事を進め、計り、また時間によって縛られてきました。
人間は、オギャーと生まれてから息絶えるまでを生ある時間と考え、人の一生である「人生」としてきました。私たちが生まれて死ぬまでの時間を重視してきたのも、時間という観念を基軸に置いたからに他なりません。
第二の人生という考え方も、就活、婚活、妊活、終活という言葉も、年齢(時間)という背景があって生まれてきた考え方だと思います。
ある時から、時間は生きている間に天から与えられた生息時間のことで、そこに多いも少ないもなく、優劣もなく、質の違いもなく、価値も良否の基準もなく、人間に等しく平等であることに気づき、生きている間に出来ることは何でもしてみようと思うようになりました。
この世に生きる人は「人を利用しようとする人」、「人の事は考えず自分の成長だけを計ろうとする人」、「人を支配しようとする人」、「人のために役立とうとする人」の四通りに分かれるといいます。この中で「人の事は考えず自分の成長だけを計ろうとする人」は時間の呪縛から逃れることはできなく、超多忙といわれます。
そこで先賢は忙しさを「心を亡ぼす」としてきた訳です。他の三通りにも心致すよう、バランスを保てと教えてきました。
時間を考えると、忙しいと思えば一生忙しく、閑だと思えば常に閑です。つまり自分自身がその事象をどのように捉えるかということにかかることになります。
私はというと、多忙の中、閑を見つけてはまた忙になる日々です。
この性質を親の遺伝子の所為にして、今、夜な夜な作陶に勤しんでいます。来春催す茶事に向けての焼物作りです。
周りは呆れ顔ですが、本人は呪縛で苦痛どころか大変快調に飛ばしています。
楽しみは作る茶碗に唇(くち)を寄せ 「美味し」と褒める客を見るとき
席中でお茶を点てるとき、時間が止まっていることは常のこと。
茶事を催すことは創造力を高める秘訣かもしれないと思う昨今です。
それにしても、「面白きは茶事なり」です。若者たちに伝えたい粋な遊びです。
写真 次回の茶事に使う予定の道具の一部、志野茶碗、丹波茶入、砂金袋香合
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