日本のすがた・かたち
今年も大輪の白椿が咲きました。
銘を「獅子王」といいます。
茶室の炉を開く10月末に咲く白椿で、直径10センチ近くになる大振りものです。
この椿は、思い出が多く詰まっているもので、蕾が膨らむ頃になると、若者のように胸の血潮が騒ぐ花です。
松平藩江戸屋敷にあったという、松平不昧公遺愛の椿が「獅子王」です。
数十センチほどの苗木で私の手元に来た時、不思議なことですが、私は不昧公の造営した茶室の研究をしていいた折で、現存する茶室の「菅田菴」(寛政2年(1790年)築、国の重要文化財)や塩見縄手の「明々庵」(安永8年(1779年)築)の現地調査を終えた後でした。
花が咲き初めると、10数年前のその日のことを鮮明に思い出します。
苗木には咲きかかった花と蕾が二つ付いていました。
「希少なものです。差し上げます。大切に育てて上げて下さい。」
そう私に告げて初花の付いた苗木を手渡してくれた方は、既にこの世にはおりません。
花を託された後、直ぐに亡くなりました。
前庭に今年も多くの蕾を付けた白椿が、咲くのを待っているかのようです。
私は茶事に使えそうな蕾みに「よろしく」、と頼みます。
茶事の室礼で一番難しいのは花なので、三日ほど前から声をかけておきます。
その日のその時に最高のすがた・かたちをしていてくれるか分からないからです。
日本人は花の盛りを愛でてきました。
しかし茶の湯にいう茶花は盛りではなく、盛りの気配を見せる「咲き初めるつぼみ」です。
最高に至る一歩前を、美しいとする美意識こそ日本人の特質といえます。
「獅子王」は手元に来て以来、何度も茶事や茶会に一緒に臨んでくれた茶花で、能舞台にも出演するなどして活躍してくれています。
今年の初花はヒヨの餌になり、2番花は故人の供養に、そして今朝は床に荘りました。
何でも白黒、良否、是非の世の習いですが、咲き初める白椿を観ていると、是非善悪の決めつけを良しとす、昨今の風潮への息苦しさが、和らぎます。
椿の花入には、備前や丹波などの土物の焼き締めが似合います。
そして「獅子王」の白には、恋の気配が漂います。
写真 椿 銘「獅子王」 花入:丹波 自作