日本のすがた・かたち
「昭和天皇実録」が公開されてから、昭和史が注目されています。
9月9日の中日新聞に、名古屋の熱田神宮に祀られている「三種の神器」のひとつの「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」が終戦直後に約一ヶ月間、岐阜県高山市の飛騨一ノ宮水無神社(みなしじんじゃ)に疎開していた経緯が掲載されました。米軍などによる略奪を避けるためだったといいます。
実録によると昭和天皇は1945年7月31日に内大臣木戸幸一を呼び、草薙剣を疎開させる意向を伝え、疎開先や時期を政府内で協議するように指示し、8月5,6日に陸軍や宮内省関係者が水無神社周辺の山林を視察したといいます。同6月には沖縄が米軍に占領され、本土決戦もささやかれる時期でした。
疎開が行われたのは終戦後、連合軍の進駐を控えた8月22日、宮内省の勅使が熱田神宮本殿で、新調した木箱に剣を収め、陸軍の協力で運び出し、9月19日まで水無神社に安置されました。
今は疎開の事実を知るひとたちは亡くなり、実録公開によって詳細を知ることとなりました。
この新聞コピーは昨日の9月14日、私に届きました。この前夜岐阜に投宿し、飛騨高山に向う朝のことでした。届けて頂いたのは岐阜で保育園の園長をされている林栄子さん。
新刊『伊勢神宮』の上梓のきっかけとなった「飛騨の口碑」を紹介して下さった方です。
林さんは、飛騨福来心理学研究所の理事長の山本貴美子さんをお訪ねする旅に車を用意され、岐阜から高山市国府町の研究所まで同行して下さいました。
山本理事長の師でありご主人であった山本健造氏がこの世に遺された「飛騨の口碑」は、天皇家(天孫族)の祖先は乗鞍岳の麓から始まり、現在の日本のルーツが飛騨高山一帯にあるというものです。
この「飛騨の口碑」を得て、私の『伊勢神宮』は完成しました。山本健造氏にお礼を申し上げたい。これが高山行きの目的でした。
昭和天皇は神器の草薙剣を高山の水無神社に疎開するよう指示されたのか。私の裡では、この事実は、天皇家には「飛騨の口碑」と同じ先祖の歴史が脈々と伝えられ、天皇家の発祥の地が口碑の伝えるこの一帯にあったということの裏づけとなりました。なぜ水無神社なのかという真の意味がこれで理解できたのです。天照大神始め皇統の古里への疎開は当然のことだったと解されます。
前日は伊勢神宮にお蔭参りが叶い、上梓の報告をして参りました。
また縄文時代から伝えられてきた日本人の深い精神性に光を与えられた山本健造氏。その偉業を引き継がれている山本貴美子氏や協力者の方々に敬意を表した旅でした。
私は山本健造・貴美子氏に倣い、日本人の美まし優れた記憶を後々に伝えさせて頂こうと、思いを新たにしました。
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草薙剣は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の異称で、材質は青銅製ではなく、白銅製とも金製ともウラン製ともいわれ、形は七支剣といわれます。現在は熱田神宮のご神体として祀られています。
写真 上 飛騨一の宮「水無神社」 トップP:5月の祭り
下 山本健造氏設立・飛騨福来心理学研究所