日本のすがた・かたち

2014年8月21日
年輩

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「若い時分はなるべく年輩の人と接するように」。

よく親や周りからいわれてきた言葉です。

その深い分けも知らずにいましたが、面白いことや勉強になることもあって年輩の方との交流を重ね、未だに続いています。

しかし先日、年輩という人がどんどん亡くなり、少なくなっていることに気付きました。

これは今年、暑中見舞いを出した人の数で分かったことでした。

 

恋人など異性や同年代の友人との付き合いは、情操や情熱を高めるものですが、人間の生き方や、人生問題への対処法などを学ぶことは少ないようです。

特に人生における出処進退の術(すべ)は、教科書や哲学書では学ぶことが難しく、先賢が伝えてきた哲学でさえ、過去の出来事には対処できても、目の前に展開されている人生問題には対応できないものです。

 

年輩の人との交流は、とても為になるし、そして面白いものです。

私の場合、年配の方との交流は、その方の人生を我がものと重ねてきた感があります。今風にない美しい言葉や表現、そして学び方などの伝授はその最たるものです。

多分、先人もそのように先人の智慧や生き方を学び、それを基として生きてきたのだと思います。

ところがこの頃年輩の方との交流が少なくなり、若い人たちとの付き合いが増えてくると、自分がすでにバリバリの年輩層であることを自覚します。すでに遅いと思いますが…。

 

人ひとりの人生には必ず師友がいるものです。

どのような師友に巡り会うかによってその生涯は変わるといっても過言ではありません。

十数年前、得がたき年輩と巡り会いました。文人小野田雪堂氏との邂逅です。

これほど楽しみに満ちた交流は過去には無かったと思いました。

特に氏との書画の合作は、ワクワクするものでした。

私が画を描き、北鎌倉に送る。氏が画を描くと三島に送る。それぞれが画に詩文を賦す。

何年も続いた交信でした。

そして設計に縁のあった雪堂美術館の「雪堂門」。そして2004年11月3日の開門式。

その氏との交流の中から学んだものは、計り知れない人生の妙味と伝統でした。

 

伝統とは守るものではなく、伝えられ、学んだものをベースとして新たな創造を重ねて行くものに相違ありません。災害に遭えば、次は災害に遭遇しないようにと、先人の伝えたところは年輩者に問い、学び、そして今を重ねて行く…。

それが自分の為であろうが、家族の為であろうが、いずれにしろ伝統の中に身を置いて生きて行く。その積み重ねが必ず次の世代の、多くの人々の為になることだと思います。

 

年輩になった私は、日本の風土の中で造られてきた「木の建築」の美ましところを、年少者に語り、そして一緒に造営して行きたいと願っています。

                                                     

写真  小野田雪堂(書)・太田新之介(画)合作「麗日発光華」(孟浩然 詩)

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2014年8月21日