日本のすがた・かたち

2014年4月3日
虚々実々

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偽装、偽造、捏造はこのところよく見聞きする言葉です。その真なるところは「ウソ」です。

これらは、人間がこの地上に出現した時から獲得した智慧のようなもので、これで人間の間が巧く運べば良いというようなものだったと思います。

 

最近は食品偽装や裁判の証拠ねつ造、データの改ざんなど、毎日といってよいほどこのウソにまつわる言葉が話題に上がっています。

「嘘」を本当のように工夫、加工したことが非難されるわけですが、問題視されるものは社会的に影響が大きいからといえます。

 

ウソつきは信用されない、ウソは泥棒の始まり、ウソをいうと寝言で喋る、ウソは必ずばれる、などと子供の頃から親に諭されてきましたが、この世間を渡るには必要なウソをつく訓練が必要だとも学んでいます。

ここでいうウソとは悪意をもってではなく、自分の意志とちがうことを言うことを指しますが、この見極めが難しいところです。

 

ウソをつくと、一番痛手を受けるのは自分だ、と先人は教えてきました。自責の念にかられるからです。

その痛手をこうむる自分をよく知ることが、良心的なウソをつく秘訣であるとも、また、ウソをつくことによって相手のウソを見抜くことができるとも教えています。

 

少なくとも人は皆、正直に生きて行きたいと思っているはずです。しかしウソはなくなることはありません。

なぜならば、人間はウソをつくようにできているからです。

 

わが身を顧みれば折々のウソの言動が思い出されます。決して褒められることではありませんが、これからも相手ににとって良いと思えるウソと笑えるウソをついて行けたらと思っています。

それにしてもお釈迦さんが説いたという、「ウソも方便」とは、なんと意味深な言葉・・・。

 

ウソの痛手より、「恥」を恐れていた日本人の精神性に想いをを馳せるこの頃です。

 

桜が散り始めました。

自然の営みにはウソはありません。

散る桜を観ていると、無常の時の流れを感じます。

そして今は亡き人たちとの、虚々実々の日々を思い出します。

 

 

 

 


2014年4月3日