日本のすがた・かたち
10年ほど前から300年先を空想するようになりました。
なぜ300年先なのかは解らないのですが、時折脳裏にその情景が浮かぶのです。
情景の中心をなすものは鉄やコンクリートではなく木造の建築です。
多分、長く木造の寺院や茶室の設計に就いてきたことによるものと思いますが、なぜ
300年かというと、その歳月に対応する材料と技術を駆使してきたつもりということになります。
この話をすると、必ず質問がでます。
「今から300年先のことが分かるのですか?」
いつもの答えは、
「300年先の世の中がどうなっているのかは分かりませんが、少なくとも300年経った建築がどうなっているかは分かります。300年前に建てられた建物を見ればいいのです。例えば横浜三溪園にある室町から江戸までの建築群を見れば一目瞭然です」
先年、三溪園で茶道教授の方々で組織された会で講演をした折、原三渓がどのような茶会を催したのか、松永耳庵の『茶道三年』の記述をもとに再現してみました。
その折、何百年も使える建築の意味を知ることになりました。
飛鳥、奈良の仏教寺院はなぜ千数百年も永らえ、今日に至ってなお多くの人々に影響を与えている分けはなぜか。それは永きに耐える建築のデザインと質と様式に加え、仏教という信仰を体現する施設として造られているということです。
要するに仏教の「儀礼・儀式」が絶えなければ、また建物が物理的に朽ちなければ何千年もの歳月を、再建を繰り返しながら生きるということです。
縄文時代から私たちの祖先により木造の建物が造られてきました。
我が国では2万年にも及ぶ木の建築の歴史があり、今日まで継承され続いてきたことになります。
日本には、世界に冠たる木造技術と清らな造営精神が脈々と伝わり生きています。伊勢神宮の遷宮の一連の神事をみればその大概が分かります。
私は300年の夢を見るようになりました。
日本人の美しい記憶を次の時代に遺したいと思うようになりました。
自然という環境の中で循環して行く木造建築を造営し、先人の優れた記憶である「茶の湯」の「儀礼・儀式」をかたちとして後に伝え、日本人が培ってきた木造建築の美し歴史を伝えたいと願うようになりました。
近く、300年をめざすプロジェクトが始まります。
写真 トップページ 上 中 横浜「三溪園」内の建築群
下 旧小泉八雲邸 床の間