日本のすがた・かたち
高速ワイパーも役立たない激しい雨の中、一路木曽へ。
助手席に乗った私は、同行の二人と話をしながらも、心は巡り会うだろう檜の大木に思いを馳せていました。
設計をしている時から使用木材に思いを致し、調達への行動は、まるで恋人を探すことに似て、何時ものことながら、ワクワクの心中でした。
木の建築を創り始めて40年余の歳月が流れていますが、この想いに色褪せることはありません。
今回求めたのは樹齢300年以上の天然「木曽檜(きそひのき・きそひ)」です。
「伊勢神宮」と同じ木曽檜で、と。
30年前、岐阜瑞龍寺僧堂再建の仕事に就いていた頃、何度か訪ねた木曽郡上松町の池田木材は、皇居宮殿から全国の名のある神社仏閣に木曽材を納めている材木問屋で、設計当初から出来ることなら調達のお願いをするつもりでいました。
先ずは神の鎮まります霊なる床之間の屋根の大唐破風で長さ4.5メートルの曲がり木2枚。
5月11日に木曽へ出向き、有難くも良き出会いに恵まれました。
原寸の型板を置いた時の曲がり具合の良さに惚れました。樹齢は約350年。
次は長さ8メートルの水引虹梁(みずひきこうりょう)。
床正面の結界でもある横一文字の直線材で、この長物は調達不可材といわれ、あっても正面に大きな節が出て、大概は節を取り埋木をして使われているものです。
用意されたものは良材でしたが、正面に小節が幾つか出ていて、埋木の始末で採用できる範囲の材でしたが、何故か気持ちが動かず、他材をお願いして帰途につきました。
帰りの車中は、大破風のウキウキと虹梁のウツウツが交差して、恋多きオヤジの苦しみが滲み出ていた4時間でした。
「30年乾燥してあるのが見つかりました。製材に立ち会ってくれますか?」、との連絡が入り、5月27日再び木曽路へ。
真っ黒になった肌がみるみる白くなって行く…。
曲がりのない真っ直ぐ。願ってもない木味(きあじ・肌合い)。
正面に僅かな節の影はあるが、稀にみる美麗な檜。
高貴な色合い。芳しい香り…。
極上といえるものだった。
私の脳裏にはこの材が虹梁として霊床の結界として付いた情景が浮かんだ。
すぐさまオッケーを出し、設計パートナーと共に材にサインをしました。
樹齢400年といえば江戸時代初期に木曽北沢地区の北向き斜面に芽を出し、それが時を経て箱根に建設される霊なる床の主材として使われる縁(えにし)。
(求めつづけて諦めない…)。
先ずは良かった!材が有れば大工仕事ができる、と。夕暮れの富士は北斎の三十六景を思わせる美しい姿でした。
大雨に木曽檜を探ね上松に 待つは貴なるや神の虹梁(にじばり)