日本のすがた・かたち

2013年4月6日
子孫のために

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桜が散りモミジが若葉に染まる頃になると、花粉症が治まってきます。

10年来、毎年繰り返される3か月間行事のようで、色気のない習慣となっています。そして今年も恨めしく山を見てスギ、ヒノキを何とか伐採することができないか、と思う日々でした。

戦前戦後、私たちの祖父母は子孫繁栄のために木を植えました。それも中途半端な本数ではなく、現在30年~60年もののスギ、ヒノキを見れば分かりますが、山という山、谷という谷に植えて植えつくしました。20年ほど前から木々は育ち、伐られて材料になる日を待っていたのですが、私たち子孫は山を放置し、荒れるに任せてきました。

植林は定期的に間伐をしなければ、木々は良好に成長できなくなり、陽のあたらない地面は下草も生えず、土が弱ります。つまり木々の間の木を間引きく、間伐をいう作業をしなくなったのです。原因のひとつが、外国から安い木材を買い日本で加工して使うと儲かる、という仕組みです。また日本政府は林業保護の名目で補助金を出したため、結果、林業は衰退の一途をたどりました。

子孫が伐って使えるようにと植えた木を、私たちは使わず、山の管理をおこたった結果、木々は倒木となり、大雨時の流木となり、川をせき止め、氾濫を引き起こし、そして大量の花粉を放出するようになったのです。花粉は、丁度使い頃の木が、何とかして欲しいと私たちに訴えているかのようです。 

年々増加する花粉対処の医療費は今年2700億円とも。減退する仕事への意欲。これを軽減するには木を伐り使う方法よりなさそうです。

太古より、日本人は森林とともに暮らしてきた「森の人」です。この緑に恵まれた列島に住みながら、花粉症が国民病となっていることを憂えないわけにはいきません。伐るために植えた木を伐り、木の建築を多く造ることこそ、自然の循環サイクルにかなうことになります。そして日本人が誇る木造建築技術は今、危機的状況におかれています。木を使うことが少なくなってきたからだと思います。先人の智慧の継承が途絶えがちになり、衰退してきた昨今を私は憂いているひとりです。 

TVのCMに木を植えるシーンがよくでてきます。森を作るようなものならともかく、スギ、ヒノキ類の針葉樹はその後のお世話が大切です。植えるばかりで放置することが危惧されるのです。植えるのではなく、伐って使おう!というようなCMを出す企業が出ないものかと、いつも苦々しく見ています。

住宅始め、「公共建築物を木造で造ろう」、と提案し始めて30年経ちますが、効果は少なく、花粉症の猛威は収まりません。とうとう私も数年前から、伊豆波勝崎のサルと一緒の重症患者の仲間入りです。

鼻をすすりながら、スギ、ヒノキに「その内にきっと伐らせてもらうから」、と毎年のように念じている今日この頃です。

お茶を点てながら、あッ、鼻水が…。

 

(写真 京都にて)

 


2013年4月6日