日本のすがた・かたち
茶事より面白い遊びはなし。
30年近く茶事・茶会を催してきての実感です。
この頃、その面白さの中身が分かってきました。
茶事はエピソードの塊で、ある程度の知識があれば、自他の人間模様を堪能できる仕組みとなっている、そこに身を投じる、それが面白いのです。
茶事は江戸の文化文政期に現在のような構成ができたようですが、茶事が面白いことのひとつに奈良、平安時代からの歴史を内包していることがあります。つまり、茶事に臨むことにより、1500年ほどの歴史と直結することができることです。
これは、建築家が生涯で一度は茶室の設計をしてみたい、と願うことに通じますが、茶室を設計すると、桃山時代の文化に直結できる、と感覚k的に知っていることによります。魅惑的な建築に他なりません。
茶の湯における茶事は、茶道と違って自他の人間模様への参加から始まります。主客それぞれの喜怒哀楽が約束事の上に参加することです。その内容には神道、日本仏教、皇室という我が国の文化の大きな塊が凝縮したかたちで充満しています。
なぜ面白いか。
まず、4時間の茶事に参加する人間のすべてが、露わになることにあります。人柄、品格、哲学、思想、美的感覚、食への意識など、無意識に露呈することになります。そのステージが茶室になります。
茶の湯は茶道とその意を異にします。
よく道具の良し悪しや作法手順が話題の中心となる昨今ですが、道具や作法はその一会の小道具や手順に過ぎず、その奥に託された、人間同士が対比を通して学ぶところが面白いのです。
先人は我が国の固有の文化を茶事というかたちで遺してくれています。これを大いに活用し、堪能しながら次代に伝えて行きたいと思っています。
今日も次の茶事に向けた茶杓を削りながら、30歳の時に七つの祝いに削った、小振りの茶杓銘「奈なつ」を前におき、その際の面白さを再び堪能しています。
(写真 茶杓―銘「奈なつ」 蒔絵薄茶器―第50次南極越冬隊員村上祐資君(新之介組)使用の南極帰り茶道具 自作)