日本のすがた・かたち
もし正殿が鉄筋コンクリート造だったら…、との考えがよぎりました。
先日、伊勢神宮内宮正殿へ参拝した際のことです。
また、正殿が鉄骨造だったら、とも思いました。
コンクリートや鉄の社殿であったら、天皇家の祖神アマテラスオオミカミを祀ってあるとはいえ、多分、私はお参りに行くことはないと思いました。
二十年式年遷宮の年になると、諸殿の屋根の萱は朽ちはじめ、千木や堅魚木に付けられた錺金物は金色に輝いていましたが、社殿は少し精気を失った感がありました。屋根が崩れかけている社は痛々しくありました。
先人はなぜか神宮に甦りをかけてきました。八年前から始まった今回の遷宮は総事業費六百億円ともいわれる大事業です。
遷宮は、一万本余の木材を使い、大半を手仕事により内、外宮の諸殿の改築をし、神宝189種・491点、装束は525種・1085点を作り替えるというもので、今年は第62回目となります。1300年続く世界に類のない儀礼・儀式の意義と継続と規模です。
お参りしながら、20年前の遷宮の年に参拝したこと、神宮の瑞々しい空気の中にいたことを思い出していました。私が日本の建築に、木造建築に正面から取り組もうと決心した遷宮年でもありました。そこから日本列島に暮らす人々の優れた特質を知り、自らもそのひとりであるとの自覚の日々が始まったように思います。
それからというものは、日本なるものの発見の日々の連続でもありました。
社寺がなぜ木の建築で作られるのか。
それは建築が神仏のお館であり、顕現するすがたそのものであり得るからかもしれません。
木々は神や仏となっているのでしょう。
私が神宮参拝に行く理由は何かと改めて考えてみました。
お社が木の建築だからです。
朽ちてゆくさだめがあっても、生きている時間に心が宿っているからです。
鉄もコンクリートも朽ちます。
木は朽ちてそのまま大地に還ります。
木は私たち人間と同じ時空を生きているのです。
(写真 神宮外宮)