日本のすがた・かたち
人間は幼少期から物事を見聞きし、見よう見まねで学びます。
青年期から学んだことを利用して物と事を造るようになり、老年期に入ると、その成果といえるものを人に伝えるようになります。
人間が何万年も前から集団生活するようになって以来、このサイクルは変わっていないようです。
人間どこで生まれ、どこで育ち、どこで活動し、どこで息絶えるのか、誰にも分かりません。いえることは生を受けてから確実に死に近づいているということです。
若い時分は、ただ闇雲に生きてきたように思いますが、それでも親に周囲に倣い、行動していたことは事実です。
子どもは親や環境を選んで生まれてくるといいますが、誰でもが言語を覚え、身体をもって生活することを自然にやっていきます。
この頃は、何か行動を起こす時に、自分の心の中に、「伝える」というキーワードが働いていることに気がつくようになりました。思いは建築家を志した30歳の頃と、少しも変わっていませんが、多分老境に差しかかったせいかも知れません。
つい最近まで自分の中には、このような明確なキーワードがなかった気がしますが、今は伝えようとするパワーが充満しているのを感じます。
“少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず”
南宋の儒者朱熹の詩ですが、若い時期は短いのに学問は完成し難い、わずかな時間も無駄にしてはならない…といっています。今更のように若い頃の学び方が足りなかったのではないか、と思うこの頃です。
学問するよりも伝えながら学ぶほうが面白くなってきた昨今は、若い人たちに我が失敗談を語り、手から手に物事を伝達して行くことを、楽しみとするようになりました。
結果、自前で「木の建築」を造営することを志すこととなりました。建築を通し、何世代にも渡って日本人の特質を伝えて行けるものを造ろうという願いからです。
さてこれからどうなるか、宇宙とのシンクロが始まったみたいです。