日本のすがた・かたち
―「親死ね 子死ね 孫死ね」と読みます。
あるひとが、自宅の新築記念に、何か床之間に掛ける書を書いて欲しい、と信奉していた禅寺の老師に頼みました。
老師は快諾し、程なく書を贈りました。
そのひとは大そう喜び、書かれた紙を広げて、目を丸くしました。
「親が死ぬ、子が死ぬ・・・」とは、と絶句し、「死ぬとは縁起が悪くて・・・」、これを床之間には掛けられません、と申し出ました。
老師は、「お前さん、これを縁起が悪いとは何じゃ。これほど目出度いことがあるか!」
と、一喝。
「老師様・・・でも死ぬって・・・」と、信奉者。
「親が死に、子が死に、そして孫が死ぬ。人間必ず死ぬ、死ぬことは万人平等だが、この順序が狂うと人間の苦しみは倍加する。夫々の人生には夫々の栄華の夢もあるだろうが、この順序通りに逝くことが家の繁栄の元というものだ。」と、老師。
信奉者は複雑な面持ちでお礼を述べて辞し、表具をしても、暫くの間床之間に掛けなかったそうです。
書のその後の消息は知る由もありませんが、この数ヶ月の間に、この禅語が私の脳裏によみがえることが多くなりました。
東日本大震災により震災孤児となった1500人の子等。
誰がこれを計り、誰がこの孤児たちを遺したのではありません。只々、活動を続ける地球の有様でそうなったということです。
「天を恨まず・・・」といった高校生がいましたが、恨むはこの逆さを見る人の世の出来事です。
戦争孤児や震災孤児には、親のいない多難な前途が用意されています。それが現実です。
それでも、それを乗り越えて生きぬいてゆく若い力に期待したいものです。
震災復興に時間がかかり不平感もあらわになっていますが、復興への早さや度合いには尺度はないはずです。
私は、日本人の優れた復元力と精神性に驚いているひとりです。
震災の教訓はこの後、様々な分野で生かされ、それがまた社会の繁栄へと繋がって行くでしょう。
早くに両親を亡くした私は、無事に今日まで育ててくれた有縁のひとたちを有難く思い、その有難さを次の子や孫たちに生かしたいと願うものです。
『親死ね、子死ね、孫死ね』
人間が存在する限り、究極の目出度い言葉といえそうです。―
この一文は10年前の12月12日にアップしたものです。
人間の生き死には、何年経っても変わることなく刻々に移ろい、過ぎて行きます。
「人間は生まれて来ちゃったから、生きて行く他はなし・・・。」
コロナ禍の最中、親の歳以上に生き、この頃は生まれて来た縁を想うことが多くなりました。
〽 親の歳まで生きてはみたが 後は知らないケセラセラ