日本のすがた・かたち

2012年9月24日
茶会記

HP-0925.jpg 11月の末に催す茶事のために茶会記を書きはじめました。

茶会記は当日の茶事や茶会で使用する道具類を列記したものですが、私の場合、自家で茶事を催すため、食事時の料理献立表も書きます。

茶会記を書くたびに思い出すのが、30数年前から始めた茶事での出来事です。

生来のものぐさで、成人後、日記なるものを書いたことがない私にとって、書いてきた茶会記は人生の足跡のように思うことがあります。現在、その数は2百枚近くになっています。

その30数年前の茶会記を見ると、その稚拙さが手に取るようにうかがえます。

まずお招きする客を決めています。準備は一年前からはじめています。必要な道具を揃え出し、無いものは自分で作っています。当日、亭主が行うべき所作の稽古も、見よう見真似ではじめ、その十月、有料の茶室を借りて、六人の客と共に初の茶事を体験しています。今では恥ずかしくて、穴があったら入りたいような内容でした。

その二年前、もう一つの出来事がありました。茶室の設計を依頼されたのです。

文献、資料をあさり、どうにか設計をし、無事完成しましたが、しかし、茶事を知ってからいかに自分が非力だったかと悔やまれ、設計したことに苛まれることになりました。その時は、茶室が茶事を行うための施設だと知らなかったのです。恥ずべきことでした。茶室だけは茶事を知らずして語り、造れるものではなかったのです。

この二つの出来事が私を茶事に走らせました。以来、今日までそれは続き、25年前、拙宅に三畳と八畳の席を造ってから、年々、益々意気盛んとなって、この頃はこんなに面白いものは他に無い、とまで思うようになったわけです。

茶事は客を招いて、茶室でもてなす饗応で、客と亭主の濃密な交わりです。この濃密な交わりが私を駆り立て、非日常の刻(とき)へ誘うのであります。また茶事は、歴史と人間の営みの美しさが同居し、凝縮しています。気象、宗教、建築、庭園、文芸、書、絵画、陶芸、漆芸などの美術工芸一般、料理、生花、服飾、音楽、礼法など、様々な事柄を内包するものといえます。これらを背景として、各々主役となり、脇役となって、茶室という舞台で一会4時間を演じる遊行です。

茶会記には茶の湯の茶事一会に関わる歴史から、参加する人たちの人間関係と美意識、そして道具として使用する美術工芸の先端まで表現されます。茶事の理のすべてが網羅されたものといって過言ではありません。

今、茶会記の下書きをしながら、客の顔を思い浮かべては、交わされるはずの清談の予行演習をしています。

この半年の準備期間こそが茶事の醍醐味ではないか、と思いながら……ビールを飲みながら。

 

  ”深更に人想うかの月を観て 来たる一会に耽るあきずに”

 

 


2012年9月24日