日本のすがた・かたち

2011年11月23日
「ヒマツブシ」

HP-1123.jpg人の世はないものねだりに暇つぶし
色と欲とにヤキモチからめて

何年か前に、あることに得心して詠んだ狂歌です。
禅僧曰く。
「人生すべからく暇つぶし」と。
人間は、この世に生を受けて死するまで、暇つぶしの連続だといいました。
これはけして厭世的な考え方ではないのですが、そのように思うとそう思えるから不思議でした。
多忙の人はいう、「せめて、つぶせる暇があればいい」と。
万人は、「こうなりたい、ああなりたい、あれが欲しい、これが欲しい・・・」。
仏教ではこれらの欲を「苦しみの海」としました。
私たちは日々この苦しみの海に漕ぎ出て、行き先を見つけずにいるのが常のようです。
しかし、なぜ誰もがこの苦海に漕ぎだすことになるのでしょう。
この問いは、先年ある禅僧と交わした問答のひとつですが、3月の大津波の映像からこのヒマツブシ問答が甦っています。
一瞬にして命を落とした人たちの映像だったからです。
そして、「人生には意味はない」、との禅の考え方に改めて行きついています。
先賢は膨大な量の書物を始め様々な遺物を遺し、その答えを教え、導いていますが、その教えすらも、過去に遭った苦(不幸)には対応できても、これから遭うであろう苦には役立たないのが現実のようです。
私はこの頃次のように思うようになりました。
およそ人間が活動するエネルギーは、この「ないものねだり、暇つぶし、色と欲、それにからんだヤキモチ」があるから生みだせるのではないか・・・と。
しかも、「人生には意味はない・・・」と。
そして大震災は、私の裡にあった「なまけ者意識」の優越感を木端微塵に砕き、ないものねだりと暇つぶしに精を出せ、との指令を発し、今、己のできることを精一杯してみることだとしらせてくれました。
生来のナマケ者がヒマツブシに挑み始めた不思議な化学変化が起きています。
自然界の有様は、理屈ではなく、生きとしいけるものにそのいのちを与えているようです。
万人皆、喜怒哀楽と人生時間に差異はなく、おしなべて苦しみの海に在り、それぞれ「ヒマツブシ問答」をしているはずです。
人生には意味がある、と思う人も、思わない人も、老いも若きも、あなたもわたしもです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  


2011年11月23日