日本のすがた・かたち
この秋に茶事をすることにしています。
内容は、今年亡くなった有縁の方を供養する「追善の茶」です。
初冬前の10月は「風炉の名残り」で、11月には炉をひらき、新茶を詰めた茶壷の「口切り」をし、正月を迎えます。茶家では11月を正月としています。
今年は震災に遭遇したせいか、茶事・茶会を催す気になりませんでした。
もう半年になろうとしているのに、未だに多くの方が被災したままの生活を余儀なくされています。そして、いつ収束するのか分からない原発事故です。
私も3人の遠い親戚を亡くしています。
人は人と出会い、そして別れる。「相逢うて、そして別る」です。
生者必滅、会者定離(せいじゃひつめつ、えじゃじょうり)は、この世のさだめ。
誰ひとりとしてそれを止めることはできません。
残り生きているものは、せめて亡きものの供養をすることの他はないようです。
いずれはわれも供養される側への仲間入りとなります。
追善・名残りの茶事の床之間には、墨蹟のような固いものを掛けず、供養の思いを映す軸の類を掛けます。
一年間使った抹茶の残り(残茶)で茶を点て、花も開花直前のものではなく、盛りを過ぎた花、遅咲きの花を入れます。
道具類は欠けで繕いをしたものや、この日のために作ってきたものを使います。
人と、時と、ものを惜しむ風情を、亡き人々に届ける二刻(ふたとき・4時間)となります。
今年は庭に開いた蓮のハチスを使い、香合を作ることにしています。
茶杓は竹を選び、その日にむけて削ります。
供養する人たちと、迎える客の顔を思い浮かべながらの削りです。
私の催す茶事は、削る茶杓の完成で始まります。
その日、茶席で唱和する「般若心経」が、供養のすがたです。