日本のすがた・かたち
ヒルメムチ(アマテラス・天照大神)の住所は、約2千百年前の岐阜県大野郡宮村でした。
2005年に丹生川村などと一緒に高山市に編入され、現在は高山市一之宮町(いちのみやまち)となっています。
この町の南にそびえる位山(くらいやま)山脈は、中部日本の分水嶺をなしています。
分水の一方は宮川・神通川を経て日本海へ、もう一方は飛騨川・木曽川を経て太平洋へ注いでいます。
富山湾に注ぐ宮川・神通川は大陸や半島から渡来する異民族の侵入口ともなりました。
外敵の侵入を防ぐために皇統家の分家である高木神の一族が、飛騨宮村から金沢方面に降り、皇統家本家のヒルメムチの子のアメノオシホミミ命の子のニニギ命が九州方面、次男のアマツヒコネ命が大和方面へ行くため、長良川沿いを太平洋側に降ったのです。
『記紀』ではこれを天孫降臨といっています。
一之宮町には「飛騨一宮水無(みなし)神社」があります。
この一帯が飛騨天孫族の拠点で、宮村の宮とは尊いお方の住む場所という意味です。
ヒルメムチは父イザナミ、母イザナミとの間に長女として生まれ、この地で成長し、天皇家の祖である皇統を継ぐことになりますが、ちょうどその頃、前漢の大乱(前154年)が起き、大陸から多数の武装難民が九州に上陸してきて、やがて東進して日本列島を席捲する気配になってきたのです。
イザナギは強国出雲からイザナミ命を妻に迎え、日本を守る体制を整えました。
当時、数十のクニがあった中で、飛騨と出雲が二大勢力を保持していたことによります。
出雲は「出母」から転じたものです。
昨年、飛騨一之宮水無神社を訪ねました。
祭神は天照大神ではなく、御歳大神、天火明命(アメノホアカリノミコト)でした。尾張一之宮の真清田神社の祭神と同じで、出雲の神でした。
なぜ、天照大神の出身地の神社の祭神が出雲の神なのか、ここに歴史的史実の改編があることになります。
いずれこの謎を解いて行きたいと思っています。
(写真 飛騨宮村「水無神社」)