日本のすがた・かたち

2011年6月24日
アマテラス-5 古事記

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アマテラスオオミカミ(天照大神)の名前が初めて現われるのが、712年に編さんされた『古事記』です。
『古事記』は28歳のヒエダノアレ(稗田阿礼)という舎人(とねり)の語る歴史的史実を、オオノヤスマロ(太安万侶)という学者が文字にあらわしたものです。
ヒエダノアレの経歴は謎とされていますが、ヒエダは飛騨、アレは在れませるお方、という意味で、飛騨から招かれたシャーマンでした。その子孫の方が現在でも飛騨に住んでいます。
初代神武天皇から4代さかのぼる皇統がヒルメムチで、『古事記』により、その名を天照大神とされました。これには深い分けがあるのですが、それは少しずつ書いて行きます。
『古事記』は国の正史として出されましたが、その後に書かれた『日本書紀』(727年)の方が国史として重んじられ、朝廷内では『古事記』をテキストといて用いていました。
現在では、その後の797年に完成した『続日本紀(しょくにほんぎ)』が奈良時代の基本史料といて重視されていますが、これは文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱っているため、比較的史実に基づいて書かれていることによります。全40巻から成るものです。
『古事記』は実権を握った三輪氏(藤原氏)の意図により、史実を都合のいいように神話として作りかえたものです。
ヒルメムチは天照大神として登場させ、『古事記』では極わずかしか登場しません。
高天原にある天の岩戸に天照大神が隠れて、世の中が暗闇に覆われた時の「天の岩戸開き」の神話でも、誉めたたえられているのは岩戸を開けたというタジカラオノミコト(手力男命・出雲の神)で、それ以外には神話にはほとんど登場していません。
天皇家の祖神である天照大神が、当時どうして人も住まない未開地の伊勢の地に祀られるようになったのか。
このミステリーは、2000年以上の我が国の古代史の謎の核心ともいうところです。
現在、天照大神(神鏡)は伊勢神宮内宮正殿(ないぐうせいでん)と、東京皇居の宮中三殿の賢所(かしこどころ)に祀られています。
698年、持統天皇によって伊勢の地に祀られる前は、伊勢市を流れる宮川の上流にある瀧原宮の地に隠されるように祀られていたことを、飛騨の口碑により知りました。
持統天皇は夫である天武天皇の遺志を継ぎ、伊勢に祀る前に志摩の賢島(かしこじま)に祀ることを試みた形跡があります。
近々、瀧原と賢島を訪ねてみようと思っています。
                                                             (写真 滝原宮)                                                                                           


2011年6月24日