日本のすがた・かたち
何事もそのままに在る世のすがた
夏もまたくる青葉茂れと
この27日から窯に火が入ります。
今年もやきものを作る機会に恵まれ、30点ほどのものを入れて頂きました。
今日から連休中はひたすら火を焚く作業が続きます。
5月14日の窯出しまで、火の神様にお任せです。
やきものは土づくりから始まり、その土を形にして窯に入れ焼成します。
私は、土を手にして成形する時が好きで、充実する時間が何事もなかったかのように過ぎて行きます。
今回は丹波と志野の土で、主として茶道具を作りました。これから催す茶事や茶会に使うためのものです。
その種類は、茶碗、茶入、薄器、水指、灰器などですが、いずれもこれから催すであろう茶事・茶会を想定しながら、また、よく出来たら進呈したいひとの顔も思い浮かべながらです。
今年は大震災の後に器胎作りを始めました。思いがけないことが起きた後の動揺の中でした。その中で涙ながらに作ったものがあります。
その日の夜のテレビの映像に流れた、小学生の女の子が、海に向かって母親を呼ぶシーンでした。津波から逃げる際に母親とはぐれ、母を恋しいと叫ぶ姿でした。
『お母さん、お母さーん』と、叫ぶ姿が目に焼きついて離れませんでした。
涙が止まりませんでした。
そして思いのままに、その子の無事の成長を願って湯呑を作りました。自然にそのような気持ちになったのでした。
親は子に、子は孫に、できることであれば一生を平穏に暮らすことを願います。
しかしながら、人生は望みのように過ごすことはできません。そして命あるものは必ず死に至ります。誰にもこれを止めることはできません。
自然を畏れ、あるがままの命を生きて行く。
これより方法がないように思います。
先人の智慧は生かすにこしたことはないですが、それに私たちの智慧を上積みして、次世代に手渡して行きたいと改めて思ったものでした。
24日の「雪堂茶会」に使って頂いた茶入、銘「瀧の音(ね)」は、一昨年にこの窯で焼いたものです。
席主の熱い思いが、茶会のすべてであることを改めて思い起こした良き一会でした。
津波という水の恐怖、原発炉冷却という水の作用、田畑を甦らせる水の恵み、また電気エネルギーを生みだす水蒸気という水。水の惑星ならではの水です。
そして、茶会に使われた水は、席主が運んだ奈良天河神社の霊水でした。
私は、雪堂先生と天河近くの洞川温泉に投宿した日を懐かしんだ一日でした。