日本のすがた・かたち
古の光を放つ型ものに
さきびとのその夢をみるかな
二条城は1603年、徳川家康が京都御所の守護と上洛時の宿舎として造営したものです。
私は京都に行き、時間に余裕ができると二条城と東本願寺を訪ねることがあります。その訪ねた回数は10数度ですが、何度訪れても興味が尽きないところです。
二条城へ行く目的は、桃山文化を代表する書院造を見学することです。
桃山文化を代表する武家風書院造りの建物は、平安期の寝殿造りから室町期の書院造へと移行した最も典型的な書院造りで、桃山時代の豪華華麗な特色を遺しています。
もうひとつは庭園です。
二条城の庭といえば桜が有名で、他に早春の梅林、初夏のツツジ、サツキ、夏の枝垂れエンジュ、秋には紅葉と、四季を楽しめ、桃山様式の池泉回遊式庭園と洋式の本丸庭園が時代を超えた庭園の美を醸し出しているところ、そして庭園の維持管理や手入れに興味を持っています。
私は、日本の木造建築史を俯瞰(ふかん)するときには、必ずといっていいほど二条城を起点としています。それには幾つかの理由がありますが、何よりも手に取るところにある桃山時代の様式で、その典型的な事例が、分かりやすくそのまま遺っていることにあります。そこから室町、鎌倉、平安、奈良と遡り、そこから江戸、明治、大正、昭和へと降る建築史への起点という分けです。
その中の目玉が錺金具(かざりかなぐ)です。
錺金具は建築の装飾物で、伊勢神宮など、由緒ある城や神社仏閣、住宅までに付けられている、あの金色に光っている金物類のことです。
建物を錺金具で飾ることは、わが国では現存する最古の建築である国宝「法隆寺金堂」以来、伝統的に行われているものですが、とくに桃山時代から江戸時代初期にかけて、錺金具の使用は最盛期を迎え、装飾性の高い手の込んだものが使われました。
製作技法は、一般には銅板を、鏨(たがね)を使って形を切り抜き、文様を彫り、仕上げに、水銀焼付による金鍍金(めつき)のほか、漆箔押し、漆焼付、七宝等の技法を用います。
いつも二条城に入ると、まず建築よりこの錺金具が目に入ります。
その一つひとつに施された文様は多種多様で、繊細かつ大胆で、美しいと思えるすがた・かたちをしています。そして作っている往時の職人の姿が目に浮かびます。大きな建築を構成しているこのような小さな部品が、実は歴史を孕み、技法ばかりか文様、意匠、フォルムまで私の想像力をかきたてるのです。
いつものことになりますが、帰りの新幹線の中でビールを飲みながら目に残った錺金具をスケッチし、飛鳥時代から今日までの錺金具の歴史に思いを馳せます。そして必ず、先人が遺してきた美しいものへの憧れに呼応できるか、とわが身を励ますことになります。
ひとは美しいものに憧れ、それによって人品を高めることをめざす生きものかもしれません。
世界中、至るところで騒がしい昨今ですが、また我が国の政局も慌ただしい限りですが、私は今、日本人の優れたものづくりが、世界の人々の憧れになり得ることを確認しています。
二条城は励まされる建築のひとつです。
(写真 二条城唐門)