日本のすがた・かたち
鳥の如く
空を駆け行く
地の果てに
有るはマウスの
軌跡その音
私は時々、グーグルアースで地球の旅をします。
もちろんパソコン上での仮想の旅ですが、これが結構いける旅で、子どもの時のような空想が広がります。
きっかけは日本列島の地形と周辺の海底の地形を見るためでしたが、いつの間にか世界遺産を訪ね、世界を旅するようになりました。グランドキャニオンを低空飛行で見たり、秦の始皇帝陵やアンコールワットに行ったり、縦横無尽です。
日本列島の長さは最北端の択捉島「カムイワッカ岬」から、最西端の与那国島「西崎(いりざき)」までの直線距離にすると3,264kmといわれています。
この日本列島の全域を500㎞上空から俯瞰しながら降下し、3000mほどに近づき飛行してみると、意外なことに気が付きます。行けども、行けども日本列島は森また森で、ほとんど森林で覆われているということです。人間の存在が森林の中にしかないと思える情景です。
その中に今の私がいて、日頃東京や京都などに移動している分けですが、3000m上空からではそのすがたかたちは見えません。まるで縄文時代の森林の中での生活がそのまま続いているような錯覚に襲われます。
これは高さによる錯覚というトリックですが、この映像は太古の時代より、日本列島で展開されてきた歴史の深層というか、歴史が何によって動機づけられているかを一瞬にして明らかしているかのようです。
日本列島の歴史は、森林の狩猟採集生活から農業社会へと移行し、現在のような産業社会へと変貌してきました。その激しい流れは、古代から続いてきた山岳や海、そして森林などの自然の有様に対する畏敬の念や親密感を抑圧し喪失させてきたといえます。
またその流れは、稲作によってはぐくまれてきた神や仏の存在を、希薄にし、横目で見ているような脇役に追いやってきました。そして目に見えない超自然的なものを基本とした森林や海の生活から、目に見える文明の果実だけを追いかけ、生活の主役としてきました。
それが、現代社会が病める原因のひとつで、文明の果実だけを追いかけたその先に見えてきたものと思います。
先日、祭事「和の心にて候」の主役のひとりである、デイジュリドウ奏者のKNOB(ノブ)さんのライブを見てきました。
彼の凄まじいまでの神仏への回帰演奏の経文や祝詞の上奏は、私に目に見えない超自然的世界を垣間見せてくれることになり、一時間半ほどの演奏でしたが、現代社会が抱える一見見栄えのいい都会の暮らしや、「成長と繁栄」という現代神話がほころび始めていることを感じさせてくれるものでした。
5万年前のアボリジニの長い木の笛は、グーグルアースと同じように私を乗せ、3000m上空から現代社会を俯瞰させてくれたようです。
(写真 グランドキャニオン)