日本のすがた・かたち

2010年11月9日
I have a dream

mlk%5B1%5D.jpg夢の世に夢みる夢は多けれど
夢見る夢は夢のこの夢

「私には夢がある……」、米国の公民権運動の指導者キング牧師の言葉です。
1963年8月26日演説のこの名言は、当時の私の胸にある揺らぎをもって深く刻み込まれました。それは「私には夢がある、……だろうか」という言葉に変化したものでした。
以来10数年の間、私には夢があるだろうか、という自問が続いたように思います。
そして今日に至るまで、明確なかたちでの夢はなかったような気がしていました。夢とは憧れや生きる目的になるような彩りのあるものと思ってもきましたが、そうでもないようで、夢は道端の石コロを拾うように手にできるものではないことや、直ぐ覚めるようなものでもないことも知りました。
会社の良否、スポーツ選手の契約金や美術工芸品の価値づけなどを見ただけで分かりますが、現代はあらゆるものを数字という価格で決めるようになっています。つまり物事の意味ばかりか、人間の価値までもが金額の多寡で決められる世の中になっています。
確かにこれは万人に分かりやすいもので、つまり、お金を沢山持っている人が優れた人間ということになれば、お金を沢山得られる可能性のある地位や名誉を欲することは当然のことになります。そして私たち現代人は、人生の目的が、生きる目的が、金持ちになることになったのです。
ある時、金持ちになることが自分自身の夢になるのか、「私には夢がある」という夢はそれなのか、と疑問に思うことがありました。なぜ、古今東西の賢人たちは金持ちを目指せとは言ってこなかったのか、と。その頃に出会った禅僧に教えられたのが、自分のための夢はだだの私欲に過ぎないということでした。夢は欲なり、と思っていたのが打ち砕かれ、自分には到底夢はもてないと思っていました。
ところが数年前、私はある夢を持っているような気持ちになっていました。
あれほど求めてきたというのに、齢を重ねてきていつの間にか、というような気分でした。
それは次代に贈ることができるものがこの五体にあるのか、という思いからでした。
お金は無理、肉体奉仕は無理、歌舞音曲も無理、殆んどの物事が賞味期限を過ぎている。
しかし「私には夢がある」、「私には私の夢がある」と思える気分がありました。
自分は、長いことやってきた木の建築を、300年とか500年を生きる建築を造った先人の英知を、次代に伝えられることができそうだ。そう思えるようになってきたのです。
ひとつのことをやってきて、歳月を重ねて漸くすがたを現してきた夢。
夢とは己のためだけのものではないと知らされたのです。
”I have a dream” 
何度呟いても良い言葉です。


2010年11月9日