日本のすがた・かたち

2010年9月15日
和して同ぜず

stt1009142001034-p1%5B1%5D.jpgそれぞれに生きるよすがを前にして
争うことの意味を問うかな

                                                            
この何日か、改めて日本のすがたやかたちに思いを巡らせていました。
党を二分した民主党代表選です。
結果は現総理大臣が再選され、勝利方は欣喜雀躍していることでしょう。
私はこの最中、日本国の平和を改めて実感していました。                                                                                          
不景気と言われ、円高や雇用不安と言われ、個々の政治、経済、芸術の分野では大いなる危機感が叫ばれていますが、私にはその危機感は実感としてもっていますが、それで日本がダメになるようなものではないと思うひとりです。
中国による尖閣列島領土問題の挑発も、韓国による竹島問題も、ロシアとの北方領土問題も、歴史的事実の相互認識の違いと誤解、そして政治的意図によるもののようです。
これらは国内事情を抱えた隣国の挑発によるものといってよく、政府が毅然とした態度をみせるかどうかに問題終結の鍵がありそうな気がしています。
争いをすることではなく、我が国に意志を明確に伝えることができれば、多くの国家間の摩擦は解消されると思われます。
これは自己主張とは違い、明確な意志表示ということです。
民族や国の平安を保つ施策のひとつに、「和して同ぜず」という先人の教えがあります。和するということは、争わずということです。同ぜずとは、明確な意志を表白してゆくということです。
地球上の生きものは絶えず競い、絶えず争うことが宿命のようです。
しかし、無益な争いは不条理な苦悩をもたらしすことを過去の歴史が教えています。人間は肌でそれを理解しているはずです。
しかしながら人間は、生きものは、争うことをやめられません。
この競争原理は、自からの種を、細胞を遺し、永らえようとするからといわれています。この争いを防ぐ解決策はないようです。
根本的な解決策ではありませんが、私はこの頃、日本人に内在している「和する」精神が、人々との争いを中和し、生命をバランスさせて行くことができるものではないか、と思うようになりました。
日本が破滅する、沈没するというような危機感をもっている人たちもいますが、私は、現在が我が国の存亡の危機だとは思いません。
むしろ、このような列島に棲み、平和を享受している人々を誇りに思います。争いは起こされたら毅然と対処する。こちらからは起こさない。この精神性を具備している日本人は、弱腰といわれることもありますが、各国の範となり誇りとなると言って過言ではありません。
かたちなき精神から醸し出される威圧感。これこそ先人が古代から営々と伝えてきた「美まし力」のようです。
民主党代表選に国民が釘付けになっている光景こそ、平和を享受している妙なる国のすがただと私は思います。
そして、このすがた・かたちを次代に伝えることができればと思った次第でした。
                                                                                                                                                                                                                            


2010年9月15日