日本のすがた・かたち
陸と海
空の果てにと戦いて
沈む夕日に何を祈らむ
「お前は戦争に行ってないだろう」
20代の頃、中国で転戦してきた人にそう言われたことがあります。
その時は、(終戦の年に生まれたのだから行きたくても行けないんだ……負ける戦争をしたのに)と、内心思ったものでした。
その人は今の人たちは平和に暮らしているが、それは俺たちの犠牲の上に成り立っているのだ、だからもっと戦地に赴いた者を敬い、大事にせよ、と言いたかったようです。
幼い頃に毎日というほど見かけていた傷痍軍人(しょういぐんじん)の姿も疾の昔に消えました。悲惨の一語に尽きる太平洋戦争の痕跡も、広島、長崎に投下された原子爆弾を除き、やがて往時の人々と共に歴史の彼方に消えて行くはずです。
かつての古代ローマ帝国の戦争も、三国志の戦いも、2度の元寇も、悪夢のような第2次世界大戦も、そして昨今の自爆テロも、これから300年先の記録に残る保証はありません。
戦争には勝者はない、と歴史は教えています。
戦争体験は、その国における歴史的な認識において語られ、どちらが勝者か、ということも微妙に判断が分かれることになります。戦争には一方的な勝者は存在せず、その折々の考え方、捉え方ということになりそうです。これは、人間の幸不幸の分かれ道が、その人間の心の有りようで決まって行くことと同じと言えそうです。
若い頃の私は、戦争については教えられることばかりで、自ら考えることができませんでした。その原因のひとつに、人間の実相についての考えがありました。
人間は事故や不幸がある度に、必ず「二度と繰り返さない」と言ってきました。しかし過ちを繰り返して行くのが人間の実の相8すがた)であり、人々は繰り返すことを知っているからこそ願いを込め、その発言になると思っていました。
戦争に遭遇していないものにとっての戦争は、想像以外のなにものでもなく、ただ、生き残った人たちが語り継ぐものでしか体験できません。
それぞれの民族が語り継ぐ戦争と言う「負の遺産」、そして社会の人々が共有する“知”がかたちとなったものの“文化”という「正の遺産」、いずれも次代に伝り語り継いで行くべき「正と負の遺産」といえます。
原子爆弾の出現が、殺戮の兵器に止まらず、まるで恐竜時代に飛来した巨大な隕石のように、人類を滅亡させる可能性を示唆しています。
この抑止力は人類にとっていかなる結果をもたらすのか。
日本人特有の抑止力である、「和を結ぶちから」。
私は、これが発揮される時代がそう遠からず来ると思っています。
終戦記念日を迎えようとする日、私はお盆の迎え火を焚き、先祖や両親をはじめ有縁(うえん)の人たちの御霊に花を供え、過ぎ越し日々を思い起こします。
(今朝 開いた白蓮)