日本のすがた・かたち
地の果ても
生きるいのちのあるものと
知るは恵みの太陽と空
先日、南極で越冬した茶籠(ちゃかご)が帰ってきました。
南極でお茶を点てたのは、我が「新之介組」のひとりです。
「新之介組」とは私の主宰する、祭事「和の心にて候」の企画・構成・演出のサポートスタッフです。現在、10名ほどですが夫々普段は別分野で活躍しています。
20代から60代までおりますが、その中のひとりが東京大学大学院に在籍中、第50次南極地域観測隊(越冬隊員)に選ばれ、2009年1月13日からの観測隊に参加。10年2月13日まで1年1カ月間にわたって東オングル島の昭和基地に滞在し、4月帰国しました。
彼は建築学者で、宇宙や南極、北極などの極限建築の研究をしていますが、私が彼に興味を持っているのは、ある意味での極限建築である「茶室」や日本固有の文化のエッセンスである「茶の湯」に関心が高いことです。
彼は私の主宰する祭事の「能楽堂ライブ」や「茶会」に於いて重要な役割を果たしてきました。
「新之介さん、南極でお茶を点てて喫んでみたいので、茶籠を貸して下さい。和服も袴も一式……」
茶籠とはお茶を点てるための茶道具が入っている籠のことをいいますが、彼は私と旅をした時、私が何時も茶籠でお茶を点てて喫んでいることを知ったようでした。
私好みの茶道具は私の分身のようなもので、愛着があるものですが、彼の心意気に感じ、南極にお供させてもらうことになりました。
彼が南極で担当したのは、専門分野外の地球物理に関する観測とのことで、GPS(全地球測位システム)などを駆使した、大陸変動の様子や振動、重力の測定だったようです。
ほとんどの作業が屋外で、雪上車や、点在する小屋などに泊まり、海氷の上は安全なルートを探しながらの行進だったとのことです。
激しいブリザードを28回も観測。最大風速47.4メートルも経験したそうです。
彼はきっと、厳しい自然を前にした人間の小ささを感じたことだと思います。
その中での抹茶による喫茶とは粋なこと。
先日、手元に戻った茶籠でお茶を点ててみました。「南極の氷でお湯を沸かしたかったなあ……」などと妄想し、愛しきものたちが無事帰還したことを喜びました。
多分、南極で茶を点てた者は初めてでしょう。永く先人が洗練し、培ってきた文化的行為が、極地で行われたことに深い感慨を覚えました。
この茶籠はまた12点の茶道具を入れて、この八月にイギリスに行くことになっています。
ガールスカウトで活躍している「新之介組」のひとりが彼の地で茶会をするようです。
宗教の儀式や流派の点茶作法によらず、日本のすがた・かたちはこのようにして次代を担う若者たちに静かに、そして深く沁みわたっています。
彼が贈ってくれた南極探検隊の法被を着て、近い内に私も茶会を催したいと思っています。
「上海帰りのリル」に倣って「南極帰りのカゴ」とでも銘打って。
(写真 茶籠 南極でスキーをする村上祐資君 )