日本のすがた・かたち
木々の中
生まれ育つる諸人は
木霊の声を聴くが在りさま
我が国の風土には木造建築が最も適していると思います。
コンビニエンスストア業界で、環境配慮型木造店舗の出店が相次いでいます。
この木造店舗の中身は、私の考える木造とは少々異なり、木質建築といった方が適当かも知れませんが、いずれにしろこの時代にようやく木造り建築が甦ってくれたか、との感があります。
従来の鉄骨造りに比べて建築コストを1割削減でき、二酸化炭素(CO2)排出量を33%削減できるというのが売りですが、これにはもっと重要なことが含まれています。
「木造建築は地震や火災に弱いし、腐る弱点がある」。
これは他の鉄骨やコンクリート系の建築メーカーが謳い文句にしているキャッチフレーズですが、実はこの評価には少し偏りがあります。
木造建築の弱点らしきところを強調して、木造建築の本当の良さや価値に覆いをかけているところがあるからです。その中身は、情報を都合のいいように加工して、建て主の目を曇らせているかのようです。
その反証を一部挙げます。
まず、木造建築が何百年も経て、未だに何事もなく使われている事実があります。
これは地震や火災に弱く、また腐食しやすいという弱点にはなっていないことになります。
また、建物は人間と同じで、生き物といえる側面があります。
築年数を重ね、古くなって、老朽化が進んだものへの質や価値には、それなりの弱点があることは認めますが、それが木造建築のもつ宿命的な欠点とは言えないところもあります。
そして木造建築は日本の文化そのものになっています。
現代建築のほとんどが4、50年で壊されるのはなぜか…。
そこに答えがあるように思います。
これに反論があることは充分承知の上ですが、つまりハウスメーカーの基本的な考え方は、「住宅建築は消費材」というものです。築20年ほどで造りかえることを前提に営業戦略が組みたてられているとの考えということです。
経済効果という見方からすると、建設投資が短いサイクルで繰り返されることが望ましいこともありますが、このような短期消耗品化の建物が多くなり過ぎると、産業廃棄物が増大するばかりか、次代に伝えられる文化財としてのかたちが少なくなります。
私はこの我が国の文化的側面が薄れることを危惧するひとりです。
しかし、現代を象徴するコンビニにおいて、環境問題やコスト節減から木の建築が復活してくるというのは、皮肉めきますが、大いに歓迎していいことだと思います。
いよいよ我が国の建築は、耐用年数ではなくて対応年数という考え方を導入する時代になってきたようだ、と実感しています。
先人は、時代時代の様々な試みの末、様々な建築を造ってきたわけですが、日本列島という5万年の風土の中で、日本人に最も適している建築は、結局、木造建築という結論を出してきたのでしょう。
子どもたちが身近な建築の手入れの仕方を学ぶことができなくなった現代にあって、木造建築の復活には、日本のすがたかたちに沿った文化的な匂いが漂います。
地球環境をいうまでもなく、国の風土に合った建築を造ることが、人間の都合ではなく、自然の理に適うように思います。
東大寺のような巨大な建築を造ってきた先人を誇りに思いつつ、次代に伝えたい大きなかたちのもののひとつに、人の手で造った建築があるのではないか…。
私は常々そう感じています。