日本のすがた・かたち

2010年6月9日
茶入「世阿弥」

HP-1069.jpgそのすがた
妙なる深く静かなる
かの世阿弥かと閃くがごと

                                                            
茶入の銘に「世阿弥(ぜあみ)」と付けたものがあります。
何年か前に催した茶事の道具として出そうとして焼いたものです。
その折、伊賀焼の茶入れを三点作りましたが、その中の一点は、窯から出てきた時にすぐ銘を付けました。ひらめきによる銘々でした。
当時、私は能にのめり込み、生活が能一色になっていた時期でした。渋谷の観世会館の能舞台に立った頃は、無謀にも能役者になる夢を見るようになっていました。今思えば赤面の至りです。
しかし、その時期に世阿弥を知り、室町ルネッサンスのエキスを吸うきっかけができました。
世阿弥という人物を通して、日本の芸能の原形を見た感がありました。謡を習いながら、侘び、寂び、幽玄などの趣に触れたのもこの時期でした。
能は奈良の興福寺や春日大社での神事に奉納する猿楽から始まったといわれていますが、その四座の中から私がのめり込んだ観世家が出ました。
当時の奈良四座を現在の流派に当てはめると、観世流は結崎座、金春流は円満井座、宝生流は外山座、金剛流は坂戸座で、喜多流はそれから後れること300年後の江戸時代からです。
世阿弥には芸術論の「風姿花伝」や「花鏡」があり、この書物が私にとって日本のすがた・かたちを考えさせる基になったといっても過言ではありません。万葉集や古今和歌集、源氏物語、平家物語などと共に、花咲く日本の芸術体系上の書物となってきたものです。
茶の湯にいう茶事は禅の思想性と能の演劇性に裏打ちされているといわれています。世阿弥は「夢幻能」、千利休は「侘び茶」を大成させた代表的人物です。
そのふたりの生涯は波乱に富んでいますが、文化芸術の永遠さを立証するに相応しい生き方です。
文化や芸術となった芸能は、政治、経済にまして歴史に名をとどめ、永きにわたり子孫に影響をあたえつづける、激しくも静的な行為といえます。
いずれまた、茶入「世阿弥」を使い、中立の時、ドラを打たず、謡で客を迎える、何時かと同じ趣向の茶事を催したいと思っています。
勿論、次に世阿弥や利休に出合う客は、若者たちが主となるはずです。
(能面 「中将」)
                                                                                                                                                  


2010年6月9日