日本のすがた・かたち
宮村の風に薫れる太虚(そら)の色
匂うが如くの木々のささやき
人間(新人類・ホモサピエンス)の歴史を50万年とすれば、石器時代はその99%の49万500年といわれています。
私たち祖先は気の遠くなるほどの永い時間、石を使った暮らしをしてきたことになります。
私はその石器時代の表記に疑問を持ち、折に触れ考えてきたことがあります。
それは太古の日本列島にはまず木器が起こり、それに加えて石器が生まれ、その後に土器が出てきたのではないかと思っていたことでした。
石器時代に既にあった木器は石のように土中に遺ることはなく、腐食して跡形もなくなるため、その痕跡が遺ることはないといわれていましたが、先年、大阪のハサミ山遺蹟から後期旧石器時代といわれる3万年前の住居跡と木組みが出土したことから、私の木器時代への憧憬が深くなりました。もしかしたら、日本列島では木器が最も早い文明の利器だったのではないか、という思いでした。
太古の生活は野山の木々に囲まれ木と共にあったはずで、入手し難い石と違い木器の利用が高度に発達していただろうと考えられます。もちろんそれは海や川周辺の生活にもいえることですが、いずれにしろ日本列島に暮らした祖先たちは、渇いた大地に暮らした他国の人たちとは自ずから食、衣、住居、風習、果ては精神性まで異なるものを創出してきたと想像できます。
私はそれらを「風土」と呼んでいます。
風土は圧倒的なエネルギーで生物に決定的な影響を与えます。
それは皮膚の色から言語、衣食住、宗教に至るあらゆるものの根源となるものです。
和辻哲郎は、「風土」は単なる自然現象ではなく、その中で人間が自己を見出すところの対象であり、文芸、美術、宗教、風習などあらゆる人間生活の表現が見出される人間の「自己了解(じこりょうげ)」の方法である、といっていますが、この日本列島に住んでいる人たちばかりか、凡て地上に住んでいる人たちは、この「風土」によって「自己了解」し、風土こそがあらゆる生き方の根源となっているといって過言ではないと思えます。
森林に囲まれて生活を営んできた日本人は、永く木器時代を過ごしてきた人たちに違いはなく、私はその子孫のひとりに違いはありません。
先日、飛騨一之宮水無神社の御神木の大樹の下で、歴史にいう旧石器時代の表記は世界的な基準であっても、日本には旧木器時代の表記を加えてみたいと思いました。
我が国では、その木器時代が営々と50万年続いているような気がした神社の御神体である位山の麓の祭事と、御神木でした。
(飛騨一之宮 水無神社 御神木)