日本のすがた・かたち
この年末年始の慌ただしさは、今までなかったことでした。
原因は幾つかありますが、今年は知己方たちが亡くなり、また仕事の展開や窯出しなど、幾つものことが重なりました。
賀状も出さず仕舞いのものもあり、不義理を詫びる新年の出発となりました。
その中で、予定をしている茶事の準備は折にふれ進めています。
毎度ですが先ずは、身体作りからです。半年も茶事から離れると脚がいうことを聞かず、立ち居振る舞いがスムーズにできず、痛みがでて、お点前どころの騒ぎではなく、おもてなしもできなくなります。
次が露地や茶室を整え、簾や手桶などの露地道具の手入れをすることです。
露地は草木が生き生きとするように、手入れと掃除に始まり、掃除に終わります。
露地道具は古くとも清潔が第一で、ひとつひとつを予め使いためしながら整えて行きます。
同時に席中の道具を組んで行きます。
この道具組の作業は客の顔を思い浮かべながらしますが、亭主の客への配慮、茶の湯に対する考えや、美意識が問われることにもなるため、思案を重ねることになります。
第一の道具は「床掛物」で、この床の間の設えで一会の良否が分かれるものです。この掛物を挟み主客が問答と交わすシーンこそが茶事の醍醐味といえるもので、この清談こそが一会に集う者への贈り物といえます。
今まで二百回を超える茶事・茶会を催してきましたが、その日、その時に臨む思いは恋心にも似て、歌の文句ではありませんが「恋はいつでも初舞台」ということになります。
当日は「正午の茶事」のため、昼食を挟んだ組み立てとなり、初座は席入、問答、初炭、懐石、菓子、中立、後座は席入り、濃茶、続き薄茶、退席の順で進行する予定です。
今週中に客に案内状をしたため、その後、半年前から準備し正月の窯で作った焼物の道具を使用可能な状態に整えることになります。
そして仕上げは茶杓削りと青竹の蓋置、灰落とし、露地箸作りです。
これらは多分、前日に出来上がることになりそうです。
茶事は客組が八分といわれます。
何時の世にもことの主役は人間で、その人間がどの様に生きているかが主題となります。
「恐ろしや茶事、あな恐ろしかな茶の湯」です。
日本文化は、神道、日本仏教、皇室で構成されています。茶の湯の茶事・茶会はその文化のを日常的に表現できる深遠な行為です。皇室が外国の要人を必ず茶会で持て成すのはここから来ています。
仕事優先ながら、当日は脚が持ちこたえることを期待しつつ・・・。
縄文の 土器の姿を 写し焼く 窯より出る 我の水指
写真:丹波焼締め 大水指 銘「翁舞」 自作