日本のすがた・かたち
古の日抱きの地をば訪れて
いにしえひとに何かたずねむ
飛騨一之宮は岐阜県高山市の水無神社(みなしじんじゃ)です。神社のご神体は南西に位置する位山(くらいやま)です。
この地は縄文晩期、乗鞍の麓に居住していた原日本人天孫族が気候の寒冷化で山を降り、代々皇統の住まいとした宮村という地域といわれています。宮とは尊いお方の住まいという意味があります
飛騨の口碑によると、位山は位山命(クライヤマノミコト)から続く皇統が眠る聖なる山で、その35代に伊邪那岐命(イザナギノミコト)が出て、長女のヒルメムチ命が後の天照大神(アマテラスオオミカミ)とのことです。ヒルメムチ命の母の伊邪那美命(イザナミノミコト)は政略結婚で出雲族の出と伝えています。
縄文時代に宮村があった周辺には、水無神社始め今に息づく古代飛騨の歴史が息づいているようです。
天照大神誕生の地で、出産時の胞衣(えな・胎盤)を埋めた荏名(えな)神社。縄文晩期まで飛騨の中心だった丹生川村。高天原といわれた安川原(やすかわら)。祝詞に出てくる「アワギハラ…」の淡木原。高根村出土の2万年前の石器。位山の歴代の墓所の通称「天の岩戸」と呼ばれる巨石群。二千年来、天皇の即位式に飛騨位山より位板(笏木 しゃくぎ)が献上され続けている。そして飛騨の語源となったという「日抱宮(ひだきのみや)」。
日抱宮は当時の縄文人が先祖を拝み、大自然に感謝して池を囲み、水面に映る太陽や月の光を正視し、心を鎮めた「日抱き御魂鎮め」の儀式を行う地だったといいわれ、現在も十数社残るようです。丹生川中心に栄えた縄文期の鎮魂の儀式が「飛騨」の地名に残り、それが「肥田」や「樋田」などの名字や地名として全国に広がったようです。
水無神社は御歳神、天火明命とも16柱を水無大神としてお祀りしています。
創祀の詳細は不明(史上に表れるのは平安初期)で、鎌倉時代には水無大菩薩と称し、近世には水無大明神・水無八幡宮と称していたと記録に残っています。
位山は、古代から川の水源(水主)の神の坐す霊山と仰がれ、「水無」は、「みなし」「みずなし」とも読みますが、水主(みずぬし)の意味のようです。
私は、近々この水の主を訪ね、縄文期に吹いたであろう風に会ってみたいと思っています。
私の一之宮遍歴は、まだまだ続きそうです。
(飛騨 位山)