日本のすがた・かたち

2019年12月20日
暦尾将尽の候

今年も僅かとなりました。
例年、年の暮れが近づくと何かと気忙しくなり、あっという間に暦尾将尽となります。

この数年の歳末には、果たして「五意達者」の域に至ったのか、という問いに遭遇しています。
「五意達者」とは江戸初期の大工の長である棟梁の心得といわれるもので、20年ほど前から私はこの領域に達することを目指していました。
目指すのは理想とする「建築家」ではなく「大棟梁」という感じでした。

五意達者とは、
1.式尺の墨曲:寸法の比例を認知し曲尺を駆使して複雑な納まりを図解できること
2.参合: 工費や材料の積算ができること
3.手仕事: 頭だけでなく手も自在に使えること
4.絵用: 建築彫物の下絵が描けること
5.彫物: 自ら彫刻もできること
中でも1.の式尺(木割)、墨がね(規矩)の習得は困難を極め、墨付けの技法は熟練を要すことになります。

建築家として独立し10年も経った頃、我が国の伝統である本格的な木造建築の設計監理に就いた折、それまで手掛けてきた鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物は、他国の建築家でも設計できることに気が付きました。それと時同じくして、伝統的な木造社寺や数寄屋、茶室の仕事は誰でもができるものではない、との確信を得ていました。
以来、設計に就くものとして日本の木の建築を造ることに特化してきました。
依頼された木造以外の仕事は協力者の手を借り、歯がたちそうもない「木の建築」と向き合いました。
それから30年余となります。

 

その間、心がけてきたことは、棟梁の長である大棟梁が熟得しなければならないとされた「五意達者」の域に達することでした。
私見では、「五意達者」とは建築において、設計施工の指揮がとれ、その実務ができるというものです。
構想をたて、設計図を描き、工事費と工期を算出し、材料と技術者を調達し、儀礼・儀式を行い、完成までの総指揮をとるというものです。映画を始めイベント、ライブなどの企画・構成・演出・脚本・出演・監督・マネジメントまでを一気通貫でやろうするようなものでした。

 

さて、今年末の感じはどうかというと…。
心境は五意達者風になって来たようですが、未だ何だかよく分からない状態でもあり、この地球の片隅で生きているひとり、という感じが心を占め、目標が霧散し、でも志は堅固に先鋭化している、というところです。

 

来週から一年分の汚れを落とすための大掃除を始めます。身も心も浄めながら…。

 

 〽︎ 人間は・・・ どこで生きても 分け隔てなく 食うて出しては あの世往き

 

 

写真:「棟梁」本紙83×152センチ 1996年自書(伊勢丹個展)
下 望月の図・良寛歌 「向かいいて千代も・・・」2013年自画

 

 


2019年12月20日