日本のすがた・かたち
禊して明日を確かに生きたしと
願うことこそ歌のすがたは
1949年10月28日。エデイット・ピアフは最愛の恋人マルセル・セルダンの訃報を受けます。
彼女はその時ニューヨークのクラブ“マルセイユ”で公演中でした。セルダンは彼女に会うために乗った飛行機の墜落事故で亡くなりました。
映画「エデイット・ピアフ~愛の賛歌~」ではその衝撃的なシーンがピアフの精神錯乱をきたした目を通して鮮烈に描かれています。
ピアフはその後、交通事故や薬物中毒で入退院を繰り返し、廃人同様になりますが、シャルル・デユモンが名曲となる「水に流して」を持って訪れ、衰弱して椅子に座ったピアフの前でこの曲をピアノ演奏します。印象深いシーンです。
1960年12月29日ピアフはこの曲により、パリ・オランビア劇場にて劇的な奇跡のカムバックを果たします。
私は30年ほど前、ピアフの「水に流して」を、ギターを弾きながら唄うひとりの女性に出会いました。そして、この歌を聴くたびに、ある全くこの歌の詩と異なる情景を思い起こしていました。
~私は多くの過去を束にして 火を付けて焼き去ってしまった
~私はまたゼロから出発する
~私の人生は喜びもあなたとともに始まる~
人生に何かが起こっても凡てを水に流して再出発できる、といっていました。
日本人が最も得意とする重大な状況を凌いでゆくという精神構造です。
思想学者はよく韓国は「恨」の国、日本は「情」の国といいまが、これはどちらがいいということではありません。日本人には、凡てを水に流そうとする精神的特質があり、短時間のうちに、水でツミ・ケガレを祓うという禊(みそぎ)の意識が働いているようです。
先人は、物事を水に流せば、生きている限り何があっても必ず再生できるぞ、と子々孫々に教え続けてきたようです。水に流さなければならないのは「人と人との関係」に外なりません。「おはよう、ありがとう」というあいさつひとつで再生できる人間関係。長い時をかけて洗練されてきた儀礼儀式や礼儀作法が、その再生するための手段として機能してきた証です。
私は、なぜ太古から歌舞音曲が続いてきたかを考える時、人間は歌うことで昨日までを水に流し、明日を生きる夢と望みを持てると知っているからだ、と思うようになってきました。
なぜ人は歌うのか、なぜ人は舞うのか。そして音を奏でるのか。
人間が存在する限り、歌舞音曲は絶えることのない人間の再生のための波動となり続けることでしょう。
ピアフのシャンソンを聴きながら、私はまた再生する自己と出会っています。
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