日本のすがた・かたち

2009年7月12日
一座建立

HP-211.jpgなれとわれ
演者見所に隔つれど
ともに苦界の夢を観るかな

                                                             
熱海MOA美術館でのライブが4ケ月余りと近づいてきました。
私は企画・構成・演出の担当で、目下その構想のまとめに入っています。
私の組立てはシンプルで、天地開闢(てんちかいびゃく)以来の日本のすがた・かたちを能舞台に映すことだけで、その基は能の演劇性と禅の精神性を兼ね備えた茶の湯の「茶事」にあります。
茶事は、能でいえば一座建立(いちざこんりゅう)です。それは演者と観客の一体となった時間と空間の総和です。私の思う一座建立は、かの世阿弥が目ざしたものからすれば、ほんの僅かですが、しかし、とても巨きな一刻(ひととき)を皆で共有しようとするお祭りです。
能舞台は能と狂言を演じるための専用舞台です。
足利義満時代に活躍した観阿弥、世阿弥の頃の舞台は、奈良興福寺に伝わる薪能や春日若宮の能にみられる野外や寺社の拝殿などを利用したものだといわれています。
世阿弥の『申楽談儀(さるがくだんぎ)』によると、当時の勧進能生といわれる寺社建立や橋の建造、修理などの費用を集めるために催された興行能では、桟敷数が60ほど有り、仮設舞台を取り囲む直径4〇メートルほどの円形劇場まであったといいます。
現存する最古の舞台は、京都西本願寺北能舞台で国宝に指定されているもので、能好きだった豊臣秀吉の演技指導に当たっていた下間少進(しもつましようしん)が徳川家康より拝領し、後に本願寺に移したものといわれています。その他厳島神社などがその名をとどめています。
また、西本願寺では、戦後になり畳の下につくられた桃山時代の座敷舞台が発見され、演能が行われていて、この座敷能のかたちは、民家に臨時の能舞台をつくり、神を迎えて徹夜の能をささげる形式で、山形県の農民による黒川能などに継承されているようです。特に世阿弥に縁の深い佐渡には現在6〇ほどの能舞台が残っています。
現在の能舞台は、明治の初め東京の芝紅葉山にできた屋内型式が始まりで、舞台と楽屋と見所(観客席)が一体になったものが殆どとなっていて、熱海の能舞台もこの屋内一体型のものです。
私が「和の心にて候」ライブに能舞台を選ぶのは理由があります。
そこには700年分の日本人の「好ましいうつくしさ」が潜んでいると思うからです。
能は室町時代に完成したものですが、そこから先は誰も手をつけられない日本人の”かた”と”かたち”といえます。私はそこに、そっと入り込み、今という時代の表現をしてみたいと思ったのです。
能舞台での公演は2度目になりますが、今回また出演する地元熱海の芸妓衆は、日本の芸妓の中でも群を抜く芸を保持していて、本格的な能舞台で演じられる人たちです。そこに5万年前のオーストラリアのアボリ人の木の笛・ディジュリドゥなどの原始音楽を加え、日本のすがた・かたちを現したいと思っています。
新たな一座建立の意味も模索しつつ。
(木造のUFO・「和の心にて候」のシンボルデザイン)


2009年7月12日