日本のすがた・かたち
ちはやぶる神の業なる稲の穂の
実り約すは瑞穂のすめらみ
梅雨入り前のこの時季、全国で「御田植神事」が行われます。
IT時代には馴染みの薄い儀式ですが、稲作が日本列島を食べさせているという象徴的な行事といえます。
我が国の田植えは農作業であると同時に、大切な祭事であり、豊穣を願って楽人の奏楽をともなって田植えを行うのが習わしです。この儀式の歴史は古く、大阪の住吉神社では1800年前の神功皇后の時代から続いているそうです。
日本の稲作は、長きに亘って弥生時代に始まるとされて来ましたが、近年、縄文中期に属する3500年前から始まったといわれ(岡山県南溝手遺跡や津島岡大遺跡)、また朝寝鼻貝塚の6000年前の地層からもその痕跡が発見されたことによって、縄文時代中期以前まで遡るとする説も出てきています。稲作が生業であったかどうかは別にしても、縄文時代後・晩期ごろ栽培されていたことはほぼ確実だと推定されるようになってきました。
中国では江西省や湖南省で1万年以上前に遡る稲籾が続々と発見されていますが、古いものは1万2000年前に遡るものも出土しているとのことです。我が国でももっと遡る可能性がでてきています。
私は、世界一美味しいお米が日本に生産されるようになった原因を、気候風土によるものと、今ひとつ、「御田植神事」にまつわる古来から育んできた精神性によるものと見ています。
天皇陛下が毎年「御田植の神事」を行い、五穀豊穣を願い11月23日の「新嘗祭(にいなめさい)」、そして天皇の即位式を「大嘗祭」として執り行う儀式がそれを物語っています。
1万年以上前から脈々と受け継がれてきた稲作は、その食のため、というところと、同時に様々な風習や生活様式、そして農作の文明文化を生みだしてきました。和暦を見ると、気候気象の移り変わりと稲作を中心として生活してきた先人の積み重ねがよく分かります。今日行われている田植の神事は、遠く神代の時代から続く日本人のすがたであり、和の心のかたちのひとつであると思います。
私は今、玄米を食べながら、日本に天皇さんがいなくなったら誰が豊穣を願うことになるだろうかと思ったり、時の総理大臣では天に願いが届きそうもないな、と思ったりしています。