日本のすがた・かたち

2009年5月31日
火の国

%EF%BC%A8%EF%BC%B0-109.jpg八十島は
火と土をもち木と水の
3万年なる土塊を産む

                                                             
やきものの歴史は中国8千年、日本1万6千年といわれます。
10年前、青森県より日本最古の土器が発見され、それは縄文初期の1万6千5百年前のもので、世界最古のやきものといわれました。それまでは、長崎県佐世保から発見された1万2千年前の「豆粒文土器(とうりゅうもんどき)」といわれるものでした。
なぜ日本列島に世界最古のやきものができたのか諸説ありますが、私は火山列島の風土がそれを造らせたと見ています。
やきものは土と火によって生まれます。
火山が爆発、噴火すれば山火事や溶岩で森や土は焼かれます。焼かれた土は固い塑性の塊という、つまり土塊(つちくれ)に変化します。
また恵みの雨を降らす雷も火で山野を焼きます。その跡に残るのが同じ土塊です。
自然現象の雷や火山の巨大噴火によって火を得た私たちの祖先は、どこの国よりも早い時期に焼きものを発明し、やがてそれを祭祀のしるしとし、美しい生活への器として縄文の火焔土器のような類のない芸術品へと変えていきました。英語で中国をチャイナ(やきもの)、日本をジャパン(うるし)といいますが、日本列島そのものがチャイナの塊のようで、その稀なるやきものは火山地帯への地球の贈物だったと思えるほど神秘のものです。
そして、太古から日本列島は樹木で蓋われていました。
旧石器時代と縄文時代を画す文物が石器と土器といいいますが、2万年以上前の木材使用の住居が大阪藤井寺市の「はさみ山遺跡」から出土しました。それは極めて形の整った円形竪穴住居跡で、外周に柱穴をもち径10センチぐらいの材を20本近く斜めに立て並べ、中央で簡単な組み木を施し、その上を草や皮で覆った構造が考えられるものでした。
20年ほど前、この発掘ニュースに接した時、私は狂喜しました。日本最古の木造建物を探し尋ねていた頃のことでした。
それは後期旧石器時代の3万年~1万3千年前の住居発見が火を使用する生活に直結すると分かった瞬間で、同時に、木は薪として使われ、炊事ばかりかやきものを生んでいった重要な要素であったと確信した瞬間でした。
旧石器時代の人々は、洞穴や岩陰を住みかとして利用したといいますが、「はさみ山遺跡」の発掘は、既に「木の文化」の中で定住するかのように暮らした人たちもいたことを知らせました。それは、火と水と土、それに木による土器の発明を、3万年をさかのぼるやきものの歴史として見せてくれるものともなりました。
今、ビードロの流れる伊賀水指を前にして、世界中のやきものは日本で焼けるが、日本のやきものは他国ではできないことを思い、日本列島が火の国であることを、何故か懐かしさとともに思い出しています。
また、近い将来、3万年前の土器が発見されることになるだろう、と。DNAによる“日本人の東南アジア人渡来説”が覆され、原日本人が太古からマンモスなどと共に住んでいた、ということが分かるのではないか、と秘かに期待しながら、“文化”というのは生まれつきの能力や行動ではなく、生活をしていく中で身につけ、伝えられる能力や行動のことをさし、そして死を超えて生き続けるものだといった、先人の言葉も思い出しています。
                                                                                                                                                                                                                                                    


2009年5月31日