日本のすがた・かたち

2008年11月10日
あやなすことば

hp-60.jpgそのことば 古よりの舟にのり
今を生きなむ 道のしるべと

情報の少なさかもしれませんが、私はニューヨークタイムズなどの英字新聞で、日本語が入り混っている記事を見たことがありません。
逆に日本の新聞や雑誌には英字がそのまま生の状態で使われているのをよく見かけます。
私は、いつもこのことで日本語という言語の不思議さを思います。
漢字だけの漢詩や経典、平仮名文、カタカナ文、万葉仮名(変体仮名)文、それらがすべて混じり合う日本語の文、そして外国語がその中にそのまま混じり、表記されている言語。それが現代の日本語です。
私はそれを「6層にあやなすことば」といっています。
他国から見ると、我が国の文化の基礎となっている言語が解からないことが、一番問題だそうで、国家間で誤解が生じる原因のひとつといわれています。
日本語は日本人でもよく解からないものなので、仕方のないことですが、古代文字といわれ記号化されたカタカムナ文字というようなものまで含めると、もう、整理がつかない言語と化してしまいます。
英語を和訳することはいともたやすいことで、英文を読める中学生ならそれはできるようです。しかし、その逆は大変難しいことのようです。
英訳の難しさは、日本語のその文字ひとつひとつが大きな意味をもつところにあるようです。
床之間などに掛る書の禅語などに至ってはお手上げで、それは「無」という一文字が禅の教えのすべてを包含することを、英語の「mu」だけでは英訳にならないからです。
なぜ我が国にはこのような言語が育ったのでしょうか。
私は気候風土が生みだしたものと考えています。
八十島の日本には多様な言語を産みだす自然条件が具備されていて、縄文の頃から積み重なった言葉が文字化し、外来語を消化しながら作り上げてきたものとみています。
外国語では、古代ヘブライ語が美しい言語だったといわれていますが、私の知る限りでは、日本語ほど静かで深遠なものはないと思います。英語のようなアルファベットを組み合わせた記号語は、身振り手振りを大袈裟にしなければならないものだといわれ、日本語の静けさと奥行きと幅とは対照的です。この美しい言語を産んだ私たちの祖先や先人は、優れた人たちだという他はありません。
そして言語はその人の祖国でもあります。
その人の祖国は、国土や国籍ではなく物事を思考する言語にあります。そこに生まれた民族が、それぞれの特性を言葉として産み育ててきたもの。そこが祖国というものです。言語が人間を、民族を識るに最も重要なものといわれている所以です。
幾層にも重なってなお変化しつづける静謐なる言語。
その祖国に育った私は、今、日本人であることの豊かさに気づかされています。


2008年11月10日