日本のすがた・かたち
この露地を幾人ひとの辿るかな
今を生きよと木々はこたえる
茶席に入る前の庭を露地(ろじ)といいます。
茶の湯にいう茶事のために用意された外部空間です。
この庭は観賞用のものではなく、屋根のない茶室の一部であり、不思議な行動をする場所です。
招かれた客は、この中に設けられた外腰掛というところに腰掛けて、招く亭主の迎えを待ちます。
露地は、露わになる場所という意味から呼称されていて、人間の持つそれぞれの業(ごう)が、この庭においてすべてあらわれるというところで、ここに入ったら人間の本性が露呈されるといわれます。
しばらくして亭主の迎えを受け、清水で手を浄よめ、口をそそぎ茶席に入りますが、ここには清浄域に入るための中門(ちゅうもん)と茶席の入口の躙口(にじりぐち)という通常、二つの結界が設けられています。ここを通過して懐石やお茶を頂く本席に入ります。
結界は清浄界なるものと俗界との境です。古式の神楽、蹴鞠や能、地鎮祭のときなどに竹で囲いを作り白紙の紙垂(しで)を下げるあの界と同じです。
日常生活はケガレを受けている、と信じてきた我々の祖先が遺してくれたもの、それは常日頃、身を清浄に保ちおこうとする、かたとかたちでした。
400年以上続いてきた茶の湯には、身を浄める、という考え方が基になっていて、その心根こそ、日本人が太古から持ち続け伝えてきた美わしき精神であり、行住坐臥とした生き方でした。
なぜ茶の湯が戦乱の世に生きた武将たちを突き動かしたのか。なぜ茶の湯は絶えないのか。
ここに日本人の特質を知るヒントがあるように思います。
私は茶事が近くなると、露地の草を引き風情を整えます。
ただ茶を喫す儀礼を、かたとかたちの凝固した茶室で行うこと…。
露地を通る風は人のこころの原点を保つことを教えてくれているようです。