日本のすがた・かたち
台風10号によって今夏は出かけることなく過ごすことになりました。
楽しみの縄文遺跡調査旅行も、悶々とした設計生活に変わり、熱中症厳重警戒と共に引きこもり症候群を発症するに至りました。
自然の猛威の下には何人も逆らえません。
先日、銀行マンたちと将来について語る機会がありました。彼らの関心事は専らAIによる失業対策で、そう遠くない内に、銀行員の三分の一がリストラされるとのことで、どうしたら良いのか、彼らにとっては人生の最大事がAI対策のようでした。
私たち設計の分野でも、AIの脅威はご多聞にもれず、設計要員はデータを入力する者が主流を占めることになると話しました。現に今、パソコンによる設計が大半を占め、鉛筆を舐めながら設計をする人は皆無に等しく、もしいたら、まるで旧石器時代の遺物のような存在になっているはずです。
必要なデータを入力すれば、瞬時に複数の設計案が出力され、しかもパース動画とともに資金計画や返済計画まで出てきます。つまり、これから考えてみます、というような時間は無駄で必要悪とされ、いずれAIが設計界を席巻すること必定です。
さて、私はどのように話したのか…。
「現在のAIは、対象の生きている人を殺傷して良いか否かの判断までできるようになっていて、既に宇宙空間による戦闘の主役に躍り出ている」。
「人間にとって代わる分野は広く、多くの人間が必要とされなくなる」。
「美術、芸術の分野でも、人間の想像を遥かに超える創造域を確保する」。
「特に偏差値能力の高い人たちは必要とされなくなる可能性が大」。
「音楽の分野でも、人間はAIの自動演奏について行けない」。
「知的職業に求められる能力は「基礎的能力」、「学歴的能力」、「職業的能力」、「対人的能力」、「組織的能力」の5つというが、「基礎的能力」「学歴的能力」は既にAIの後塵を拝している」。
「残る「職業的能力」、「対人的能力」で勝負する他はないだろう」。
話しをしながら私は「手に得て心に応ず」という禅語を思い浮かべていました。
それは、データや学問に依らない、体験しか信に値しない、という先賢の先鋭的な立場です。
設計の仕事ばかりかこれは全てにいえることで、身体で体験したことが己の心に応ずることこそ、他に対応できる最も有力な力となるとの教えです。
現在の設計分野ではパソコンがなければ設計できない人が大半のようです。つまり体験のない空想の世界から逃れることは不可で、造り方などは無視で、工事金とともに施工者のいいなりの状態といえます。自らが設計したものの、価格は、材料は、どの様に造り、どれくらいの時間を要し、造り方は適切か、などなど、これこそが設計監理者の仕事のはずです。
私は、若い建築家に「設計監理の人を目指せ!」といっています。そして己にその言葉を向けています。AIを使いこなし、多くの人のためになる生活を目指せ、と。それを可能にするには、「体験の力」が必要となる、と。
日本人の繊細な能力を最も必要とする時代が、そこまで来ています。
写真:刻々と色に染まる酔芙蓉